あの「亀嵩」に

2010年3月8日 旅。
あの「亀嵩」に
あの「亀嵩」に
あの「亀嵩」に
来ています。

日本三景天橋立

2010年1月2日 旅。
日本三景天橋立
日本三景天橋立
日本三景天橋立
傘松公園の展望台より。
大晦日からの雪で、お目当ての西国二十八番札所成相寺には行けず。
股のぞきも台が凍り、誰もしてなかった。(笑)

そして、天橋立の松林への通路

フェリーから見た天橋立

タンゴディスカバリーに乗って
今年は、京都丹後の天橋立に行きました。
北近畿丹後鉄道の特急タンゴディスカバリーに乗りました。
JRから乗り入れ、乗り換えなしで楽です

帰りは、特急はしだて。
ただいま乗車中。

ものおもへば・・・
ものおもへば・・・
ものおもへば・・・

和泉式部

ものおもへば 沢の蛍も わが身より 
あくがれいづる 魂かとぞみる



貴船神社が、水をつかさどる神を祭るのは、山の水の源の清流があるからだろうか。
日照りの時は黒馬を、長雨の時は白馬を献じて、古代より朝廷の祈願を受けて・・・生きた馬のかわりに供えたのが絵馬。
これが絵馬のはじまりで、この貴船神社が発祥、といわれている。

また、中宮「結社」の祭神は「磐長姫命」。
この神は、妹である木花咲耶姫命とちがい、不器量で瓊々杵命(ににぎのみこと)に拒まれた、と言われているけれども、恨むことなく自分を恥じて「ひとびとに良縁を」とご鎮座した、とのこと。
この女神はこころばえが、尊い、芯が強い。
「岩」という名前をつけられた、古今東西の女性のなんと切なく、いとしいことか。
というのは、ともかくとして。
長く、恋を祈る神としても、縁結びの神としても、信仰を集めている。

そして、和泉式部は夫の仲に悩んで、上の歌を詠んだ・・・・
という歌碑があったわけで。



おく山にたぎりて落つる滝つ瀬の 玉ちるばかりものな思ひそ



という返歌が社殿のなかの神の声として、あったとか。

(あれこれ悩んで物思いにふけってここまで来ると、貴船川に蛍が一面にいます。
はかない光は、私の身から魂が抜け出て飛んでいるようです)

・・・なにをしていても、なにを見ていても、上の空になるくらいに物思いにふけり、蛍のさまがまるで自分の魂のように思える・・・。
わかるなあ

(奥山の滝から落ちるしぶきのように、魂が抜け出て飛び散るかと思うほどに(死んでしまうかと思うほどに、身体に障るくらいに)あまり思いに囚われなさんな)

みたいなね。
まさに、ご宣託をうけたようで、ハレバレとする様が目に浮かびます。(笑)
そうなるとサッパリして、夫ともうまくいく。
まあ、多少は「自分の気から・・・」というところはあるでしょう。

やっぱりね、ネガティブオーラの時は、(特に対人関係では)うまくいかないもんです、ハイ。

それから、この写真の天の磐舟の石。
「さらばー地球よー♪」なんて、イントロ付きで歌いそうになりましたが。(笑)
貴船山中にあった、自然石。
平成8年3月京都市在住の作庭家・久保篤三氏より奉納された。

昔々の時代は、船が一番最速の交通手段であり、遠方へ行ける手段であったわけで。
神様の乗り物でもあったわけです。


で、こちらで水占をしてみました。
・・・・なんだったっけ。
なんだか、はっきりしないような結果だったと思う。たぶん。
石のお守りを買ったりしながら。
昼間でもどこか薄暗い貴船のお山を詣でました。

貴船の川床

2009年8月25日 旅。
貴船の川床
貴船の川床
お盆休みは、京都にやってきた友人たちと過ごしました。

一日目は、お昼に貴船へ。
京都に住んでいても、こんな贅沢はなかなかしないんですが、ほんとに涼しくて涼しすぎる感じで、お料理をいただきました。
送迎してもらって助かった~
行き帰り、覚悟はしていましたが渋滞。(苦笑)
貴船神社へ参拝したり、しているとあっという間です。

ところで、「川床」なんですが。
貴船あたりでは「かわどこ」、と読みます。
川の上だから。
そして、河原町の鴨川あたりでは「かわゆか」と読むそうです。
川べりだから。




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BBSでも、告知しておりますが、パスワード制の方の小説ブログをひさびさにアップしました。
パスワードお忘れかもしれませんが、よろしければどうぞ~
「砂の器」のおはなしです。(笑)

千日詣り

2009年8月14日 旅。
千日詣り
千日詣り
千日詣り
(覚書)

8月14日
貴船から下りて来て、京阪電車で東山五条へ。
安井金比羅宮へ是非!とのことで、17時半に社務所が終わるまでに・・・
と、急ぎ足で向かって、・・・間に合った。(笑)

「縁切り寺」として名高いが、「悪縁を切って良縁を結ぶ」ということで、お守りは縁切りと縁結びの両方のお守り袋がセットのものが売っていたり。
「藻を刈る」で「もうかる」絵馬とか、場所柄(花街)のせいか簪の絵馬だとか、が置いてあった。
そして、なんといっても、ここに来ればコレ。
お札を買って願をかけて、それを行きと帰りとばかりに、二回往復でくぐる・・・。
なにを、というと石に穴が開いてるようなものなんですけども。
貼ってある願は妙な力があるし、この石の穴はなんともいえない具合だし、非常に(私的には)しんどい潜り抜け、でした・・・。
ダイエットしなきゃなあ、とか。
ジムに行ってへんなあ、とか。
妙なことを思いました。
写真はありません。(笑)

その後、祇園の置屋だとか小間物屋だとか食べ物屋さんがある、花見小路を通って、四条大橋まで行き、南座の向かいの北京料理屋さん東華菜館へ。
建築だとかに興味がある友達なら喜んでくれるかなあ・・・と思いまして。
ウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏建築のレストラン。
日本最古の手動式エレベーターの運転手さんのおじさん。
前回に来た時にはいらっしゃらなかったので、どうされたかなあ、と思ったら、この日はいらっしゃって、私たちにもいろいろと説明してくださって、健在。
私の定番、オススメの水餃子などを食べた。

で、そこからまた戻って(笑)、予約していた高台寺 圓徳院特別拝観へ。
北政所の終の棲家、ということで、宵闇に沈んでしっとりした風情。
お庭だとかお部屋だとかを見せていただき、昆布茶などを振る舞われる。
ゆっくり・・・、としたいところだけども、清水寺へ。

夜が更けると方向音痴な私は、一挙に東西南北が心許なくなる、というトンデモナイところがあるので(汗)、ナビゲーターとしてはもはや役に立たず・・・。
石塀小路とやらを駆け抜け、二年坂、三年坂を転びそうになりながら(コロンじゃいかんところです 笑)、なんとか清水寺へたどり着く。

脚の運動には、非常によろしいんだろうけれど、靴ズレ防止の足カバーを履いていながら、やばくなってきたのだった。(苦笑)

お盆のこの時期は夜間拝観があり、それから清水寺の場合は「千日詣り」といい、この時期の一度のお詣りは千日分の功徳がある、というなんだかもう、な有難さ。(笑)
本堂内々陣特別拝観もあったんですが、こちらは大行列なので断念・・・・。
で、竹林とか抜けつつ、またまた高台寺へ。

高台寺のお庭だとか、たたずまい、なかなかよろしかったんですが、こちらもまた、写真に撮ることができず・・・。
夜の写し方、学ばないとね。


夜間拝観は、初めてだったのでなかなか興味深かったです。
そうこうしているうちに、あっというまに22時ごろになってしまい。
この時間以降に一休みできる喫茶店といえば・・・
というわけで、また四条大橋の近くの喫茶店フランソアへ。
以前にも、「たべもの」で写真アップしていたお店です。
今度は、私はロールケーキ。
友達の分も写していました。
ミルフィーユとレモンケーキです。
これと、コーヒーを飲んで、ほっとひと息。

前半は兎も角として、なかなか夜はハードだった一日でした。



島原城
島原城
島原城
お昼に泊まっていたホテルで一服してから、予約したタクシーと待ち合わせ、島原城へ。
途中、平成新山のまん前を通った。
以前の噴火口と土石流が流れたあと。
道と山の間には棚田も畑も民家もたくさんあるし、緑ゆたか。
そして、道から反対には海。
その距離感の近さに驚きの声をあげてしまった。
山と海の距離は6キロくらいしかないという。
平成新山が迫ってくる感じがした。
そして、島原港の前も通った。
そこから熊本へのフェリーが出航するところだった。
タクシーの運転手さんの話によると、フェリーが出ると鴎がついてきて、餌のえびせんをねだってずっと周りを飛んでいるのだという。

島原城。
一度、行ってみたいと思っていた。
この島原城は復元されたものだけれども、天守閣にあがってみた。
母は途中までだったけれど、私は上まで。
途中は資料館になっていて、それらを見ていたら時間が足りなくなりそうだった。

島原の乱は幕府によるキリシタン弾圧、と教科書に載っていたわけだけれども、もちろん、そういう側面があるのだけれども。
名城といわれた島原城を建てたことによる経済的人的負担の過酷さに苦しんだ庶民の戦いだった。
しかも、その蜂起さえも反乱軍(浪人や土着領主が指導的役割を担った)に強制的に参加させられたひとたちも多かったという。
近頃、それを題材にした本も出版されていて、この乱に対して興味を持っていたのだけれども、資料館にもあの天草四郎時貞のことを「指導者に仕立て上げられ」(はっきりとは覚えてないのでいいかげんかもしれません)と説明書きにあって・・・なんとも、心に残ったことだった。
キリシタンへの扱いについても、地方によっては差があったようで穏便にすませて信者から犠牲者を生まなかった地域もあったということだった。(それでも隠れて信仰を続けていたひとびともいた)

ちなみに島原最後の藩主は、徳川慶喜の実弟。


島原城から、諫早へ。

そして、諫早から博多、京都に帰り着いたのは20時過ぎ。

乗り継ぎがよすぎて(笑)、3日は昼、夜はあまりまともに食べられなかったけれども、ご馳走の食べすぎだったのでちょうどよかった。

でもねえ、太りました。

えらいこっちゃ、です。

11月からこっち、5キロ近く太りました。
マックス、ですよ。
ここ数年の。



******************************

金スマ。
森進一さんの歌は好き。
特に好きなのは「襟裳岬」と「冬のリヴィエラ」
声も、ね。

なんとなく、中居さんがものまねでやりたくなったのわかった気がするなあ。

紅白の異様なくらいの迫力を見たときもそうでしたけど、ね。


島原雲仙

2009年1月9日 旅。
島原雲仙
島原雲仙
島原雲仙
1月2日。
諫早駅からは島鉄バス。
乗り合いバスで、75分とのことだったが、途中で渋滞をして90分あまり、で島原雲仙温泉に着いた。
せっかく温泉に行くのだから早めに・・・と思ったけれど、宿の部屋に落ち着いたら16時を回っていた。

温泉に来たからにはやはり温泉浴。
最近流行の温泉宿の湯回りチケットもいただいたんだけど、ゆっくりしたいのが目的なので、眺めのいい眺望風呂に浸かって夕焼けを楽しんでいました。
夕食は部屋食。
こんなに贅沢しててもいいのかなあ、という感じ。

泊まったホテルは、チェックイン時の母を気遣ってか、案内された部屋は予約していた和室ではなく和洋室にグレードアップされていた。
だからベッドと椅子があったので、助かりました。
それなのに、「部屋をグレードアップしましたよ」とも言わず、部屋にあったよりも更に高さの高い椅子を後から運んでもいただいた。(低い椅子は足が痛む時があるのですが、若い仲居さんよくわかってたみたいです。)

夕食の前、夜遅く、朝食前、と3度お湯に入りました。
満喫・・・・。

翌日は、近所の温泉神社と地獄めぐり。
地獄めぐり、ちょっとしたハイキングコースでもあった。
母を売店に置いて私ひとりが歩いたのだけど、軽く1時間弱だったかな。
硫黄の匂いが立ちこめて、時々ぐつぐつとなっているところもある。

ハウステンボス

2009年1月8日 旅。
ハウステンボス
ハウステンボス
ハウステンボス
1月2日は、とてもいい天気であったかくなった。
ゆっくりと朝御飯をいただいて、クルーザーで船出。
短いクルーズ後にはお庭と風車。
この季節はあまりお花もないし、以前に2月に来た時よりも殺風景?
でも、清々しい朝の空気だった。
パンジーとヴィオラはあったかな。

そこから歩いて、チーズのお店などを見て歩いた。
午前中は、いくつかの施設と乗り物に乗ってみた。
前に入ったところは入らずに・・・今回よかったのはKiraraかな。
愛知の博覧会でも出展していたものだとか。
「もし月がなかったら・・・」という主題のもので、雄大なIFXシアター。

そしてお昼過ぎに、ハウステンボスを出た。


そこからJRの駅からシーサイドライナーという快速に乗って、諫早へ。
大村湾の沿岸をぐるっと50分ほど。
眩しい日の光と海面が印象的だった。

光の街は寒かった・・・(笑)
光の街は寒かった・・・(笑)
光の街は寒かった・・・(笑)
お正月にハウステンボスに行ってきました。
カウントダウンは間に合わず(笑)、元日の夜の光の点灯式前後の画像です。
タイムリーにも複数枚数アップ対応開始、とのことなのでアップしてみましょう・・・・。

でも、カウントダウンの後だからか、寒さのせいか、あまりひとは出歩いてなかった。(苦笑)
メインイベントである花火のショーは20:30からと遅いし・・・。
一番華々しいはずのパレスの公園は遠いし・・・。
大人のテーマパーク、静かにゆったり、とした具合なのは相変わらずでいいところなんでしょうが。
(私は十年以上ぶりの3度目の来園です。テーマパーク好きの母娘です)

そのわりにはホテルも乗り物もレストランも予約でいっぱい、だったらしい。(笑)

私も晩ごはんのご馳走を食べ過ぎまして、この後戻ったホテルで爆睡しまして、なんと21時前に寝てしまいました。


なんといっても、この日は長崎空港からのぶっ飛ばしフェリーのインパクトが凄くて、母とオオウケし、(笑)その後乗り物に乗る気分じゃなかったのね~
ひとあし早くパレスの美術館とお庭を見てすぐにホテルとお店に入っちゃったのでした。
家光廟大猷院 仁王門
徳川三代将軍家光公の廟所。

祖父家康を決して超えようとはせず敬意を表したとされている。
徳川幕府の礎を築いたという偉業は、死してもなお、であり子孫にその姿勢を見せた、といったところか。
彼らを超えたといえる将軍が出なかったのも(それこそが徳川幕府というシステムを長持ちさせたとはいうもの)、確かなんだけれども。

それでも、十分に美しい。

色合いとしては、この門の抑え具合ぐらいが私好み。(笑)
左右に金剛力士像。

二荒山神社

2008年10月21日 旅。
二荒山神社
伊勢神宮に次ぐ面積の境内を誇る二荒神社。
さきほどの華厳の滝と、この日光山内はもちろん、日光三山、日光連峰をも含む。

華厳の滝からのバスから下車したのがこちらで、表参道の正面からではなく西からの参道から私たちは山内をまわることとなった。
その入口近くに位置する。
今頃は、綺麗な紅葉の画像があちこちにアップされていることだろう。


中禅寺湖の赤鳥居

2008年10月16日 旅。
中禅寺湖の赤鳥居
日光の観光スポット、中禅寺湖の入口、らしいのですが。
私たちは、ここからまたバスに乗って日光山内へ。
日光東照宮などの社寺にむかったのでした。
中禅寺湖
走って「見てきました」。
湖、なんだかんだと結構行ってますが(笑)

行き帰りに有名な「いろは坂」を通ったみたいなんですが、いまいち実感なし。
眠かったのかしらん。

どちらも近くには、山の上なのにお店やホテルやペンションが。

関東の観光地、って開けてるよね。

お口直しに・・・

2008年10月15日 旅。
お口直しに・・・
やっぱり、コレの方が迫力あるね。
それにしても・・・画像のサイズがあまり大きく出来ないなあ。
日光に行ってきました(先月だけど 笑)
東京ドームのSMAPライブからもう、だいぶん経ちますね。
9月26日~28日に東京に旅行しましたが、ライブ参加のはざま、27日に日光の日帰り旅行に行ってきました。
初めての栃木県。
関西に住んでいるとなかなか行くことができないですからね。
面白かった~

ライブの翌日に、一緒にホテルで泊まった友達と早起き(午前6時?)した。
友達が前もって特急の指定席券の切符を買ってくれていたのと、一緒だったからよかったけど、もっとマゴマゴしてそうだなあ~朝の新宿(笑)
新宿の駅のホームでもうひとりの友達と7時過ぎに待ち合わせ、7時30分過ぎ発の電車に乗って出かけました。

朝御飯は駅のホームで調達して電車の中で、た~っぷり食べて、そこから居眠りしたりお喋りしたりするうちに日光着。
JRからそのまま私鉄に乗り上げる、ってのは便利でいいねえ~
所要時間はちょうど2時間くらい。9時30分くらいに到着。

日光に着いてから駅前の観光案内所へ。
そこで、華厳の滝へのバスがすぐに出ることを知った。
その時間のバスに乗れば、華厳の滝に足を伸ばせて、なおかつバスで戻って来てから東照宮などをゆっくり参詣できることがわかった。
その時すでにそのバスは来ていて、発車時刻が迫っていると聞き、切符を買ってから飛び乗った。

そこから山道を行き、華厳の滝へ。
勢いよく降りそそぐ滝は、その勢いゆえか真っ白、だった。


※なんか、自分の写真載せてしまいましたが、上半身ちょっと締まったのはいいけど、女っぽくないですね・・・・。(苦笑)どうも逞しくなるばかりですわ。
華厳の滝のエレベーターがありまして、ですね。
大分近くまで寄れます

めっちゃひさしぶり!
10円玉でおなじみの、平等院です。
約30年ぶり(!)。

旅じゃないんですけど、おでかけ。うふ。

平成の修理が昨年秋に終了したそうですが、まことに鳳凰堂の中のご本尊と天蓋などが見事でしたわ。
目を凝らしても無理なんですけどね、あの金の細工を見るのは。

眉と眉の間の、「白亳(びゃくごう)」 という印なのですが、ここに嵌められているのは修理以後、「水晶」だそうです。
ちょっと離れて見ると、「おぉ!」です。


今年は「源氏物語千年紀」(紫式部が「源氏物語」を執筆した年からちょうど1000年め、とか)ということで、ゆかりのある地はそれぞれに催しがあったり企画があったり、なんですけれども。
そっちの宇治十帖あたりのところの名所は今日は行ってないんですけども、今年の春から出かけていた嵐山でも石山寺でも、いろいろやってました。


トスカーナの夕暮れ
2年前にもなる、イタリアで撮った画像。
機会があればまた、旅日記を書きたいと思ってました。
また書いてみたいかな、と思います。
旅日記。実はまだ、北海道のも高山もあるの。

えーっと、アッシジからが残っていますのでまたぼちぼち。(笑)

これは、アッシジで撮ったものです。
結構気に入ってます。
遠く、ちっさくちっさくドゥオモの影が写っています。

田んぼと展望台

2007年9月15日 旅。
田んぼと展望台
田んぼがあって、山があって、その上に展望台があります。

家の近くに田んぼがあり山が迫り、家の周りには堀のように水を巡らし鯉がいるから、風が涼しいのよね、とそんな話になりました。
囲炉裏の火の煙がずっと上にまで上がっているのだけれど、こんな暑い日にも・・・・と思っていたら、燻すことによって茅葺き屋根が長持ちするのだそうだ。

合掌づくり

2007年9月15日 旅。
合掌づくり
白川郷では、神田家が一番ゆっくり見ることができた。
家の方の少し早口だけど、説得力のある力強い言葉だとか、見かけよりもずっと強くて、ひとからひとへ確かに伝えられた美しく合理的な合掌づくりの家の立ち姿だとか。
暮らす、生きる、ってこういうことなんだな、と思った。

世界遺産に登録されてからは一層、保存と公開と観光化、と。
さまざまな苦心があるだろうに、神田家の方に、力をいただいた気がした、そんな暑い日。

ところで、画像はその神田家の3階かな、2階かな、見たところです。
実際は、すべてがそうじゃないけど、合掌づくりの家は同じ方向を向いていたそうです。
風の向き、雪の降るさま、雨の降り方。
それらにうまく適応する方向を向いて立っていて、とても合理的で意味があったそうです。
あと、展望台(城跡)から見ると、正面を向いていたそうで、お殿様にお行儀よく向かっていた、という意味もあるような。

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