井上ひさしさんが亡くなられた。

かのひとの文章や戯曲は理解しやすく、でも中身がとてつもなく濃い。
http://sarasa0818.diarynote.jp/200606252104530000/
すごいひとなんだな〜、と思っていると、来歴や周囲のひとたちの言葉を聞くと、とんでもないところもある。
怖いひとだな、とも思うのだけど、この本を読んでいると、ただただやさしみを感じる。

光と影
表と裏
人間、そんなものなのかもしれない。
だからおもしろい。

この本を買ったのは、このブログを書いたりおはなし(ドラマの二次創作)を書き始めた時に、どうにも自分の文章がヘンだったから、なんですけども。(笑)
ひとつの指針になれば、と思って読んだものです。
でも、あえてヘンさは直してないところもありますが。(おいおい)

このごろ、ネットのことばたちは怖いな、と思います。
手で書いていると、「間違いはないかな」「ヘンかな」と考えられるのですが、こうしてキーを押して文を作っていくと、その感覚が麻痺するのです。
また、携帯電話からインターネットに書き込めたり書いてあるものをを見るのが習慣づいてきている今日このごろ。
上記の麻痺、それがまた、さらに進んでいるのがよくわかります。
このことばへの感度の麻痺、というのは、これからの私たちを豊かにするどころか不毛な地平へ追い立てそうな気がしています。

原稿用紙に文を書くことが基本、とはいいませんが。
自分なりの目ででも、校正を立てて自分の文章を振り返らなければいけないな、と思います。
こんな時代だからこそ。

ところで。
井上ひさしさん、この本で、こんなこともおっしゃっています。


「わたしも書く時間が残り少なくなってきました。(中略)十五年は持たないと思っています。
 頭のなかには書きたいものがいっぱいあります。それをし終えて、頭のなかをからっぽにして死んでいきたい。そのためには、一分、一秒、寸暇を惜しんで書いていかなければならない。
 しかし、わたしがお世話になった町のみなさまにお役に立つことであれば、わたしはなんでもやります。それで短編小説の一遍分、芝居の一場分の時間はなくなっても、お礼をして回りたいと思っています。」
(1996年11月15〜17日にかけて岩手県一関市で開かれた「作文教室」の「卒業式」のあとの言葉らしいです。
引用【井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室 (新潮文庫) 270ページ 11行目〜271ページ 1行目】)


今読むと、鳥肌がたちます。


ご冥福をお祈りします。


この本の、「最後の一言」に書いてある「恩送り」。
この一節だけでも、お時間があれば本屋さんで立ち読みしてみてください。
本屋で最後まで読んできました。(買えよ・・・・)
なるほど、そういうことね・・・・。
というか、ちょっと掠めて先に読んでいたので、この間の日記に書いてたまんま、なんですけども。

こずるかったり、うるさかったり、うざかったり、の男たち。
いや、そればかりじゃないけどね。
それに対して、女たちが、みんな「わかる、わかる」だし、よい味を出していた。

男がこの本を書いてたら、きっと「先輩」は、ちがってただろうな。
いや、ミノベもちがってただろうな。
サポセンのニシモトさんもよいしなあ。
彼女らが、たがいに失望感を味わおうがわかりあえなかろうが、ちょっと互いにコンプレックスや優越感を持っていようが、反感を持っていようが。
あの、友情であったり戦友のような気持ちがあることや、共感であるとかはまちがいなく、あることを。
反目しあってなどいないことを。
わからないだろうなあ、男は。(笑)

思っているより、「女の敵は女」でばかりではない。
「女の敵は男」であることも、多いわけだから。
敵、と言ってしまうものでもないんだけどね。

そこのあたり、この本のプレビューだとか感想をネットで読んでも、違和感を感じることが多かった。
なんかちがう。
敵とか味方、だとかとはちがうと思う。



ふと考えると、私の従兄にもコピー屋がいた。
しかも、たぶん開発じゃなかったか、と思う。
個人的には今まで関係のなかったメーカーだけど、ふとそんなことを思い出して可笑しくなってしまったのだった。


この作者さんの他の本も読んでみようかな。


ヒミツ日記に私信あります。

買ったわけではない。
立ち読みである。(苦笑)
しかも、昼休みに適当に読んで終業したら読もうと思ったら、残業だから読めなかったという。
明日も読めないから、どっかで読むぞ。

で、これほどに拳にぎりながら、買わないんかい、っていう。
うーん、ものすごーく、今の気分にフィットするし。
はじめ笑いながら読んでいて、不覚にもこの表題作のラストのページとセンテンスに、本屋で本気で涙しそうにもなった。
というか、泣いたわ。
根性で、目から出さなかったけど。
午後からの仕事の合間にふと思い出して、泣き出しそうになったよ。
やっぱり、今のあたしはスランプだ。

でも、高いんだよー(笑)
買えない、買えないわ。

以下、あたしが機関銃のごときに喋ってると思ってお読みください。(おいおい)
本の内容は一切触れずに感想だけ書きます、不親切だなあー。



この作者さんは「週刊ブックレビュー」で初めて話す姿を見たのだが、あまりにあまりにあまりにあまりに(しつこい)あたしらと同じ話し方やし、話してることが全然違和感あらへんし、あらへんどころか、そっくりやし。
こんなひとが賞をとってるんやなあ!と驚きながらも、中学の頃から書いてる、というところが、かつての新井さんみたいやし。
本読んでみたら、それなりに、浅くもあらへんし。
いやあ、もう。
どこかで村上龍さんが、この頃の直木賞も芥川賞も貧乏臭い、とか書いてた気がするが、貧乏臭いんだ、いまのあたしらは。
とかいいながら、昔よりある意味贅沢というか、余裕もあるというか。
ガツガツもしてへんしね。
でも、近頃のこうした本はなんだって、こんなに字が大きくてページが少ないんだ。
詐欺に遭った気分になるのも確かだ。
スカスカして見えるから、あかんと思うわ。


とかなんだかいうよりも、ほんまにこの本の内容は今のあたしには涙ちょちょぎれなんやわ。
先週、やられたんすよ。
私より社歴のずっと長い複合機に。
あたしの替えはあっても、あんたの替えは今ないんだ、あんたしか出来ないんだ、っていうコピー・レーザープリンター。
その前から、トレイはバキッと折れてくれるわ、なんだかんだ(あたしが不器用なだけ)、半日あたしを翻弄させたあげくに、ほとほと困り果ててなんでかしらんけど、ひとに謝りながらサポートを呼び。
サポートのおにいさんも、ここぞとばかりに(出張費が高いんだもの!)あれこれあたしたちが言いすぎたのか、社歴が長いプリンターの中身が保守契約も結んでないでそれなりにずっと使ってたから確かに中味がきしんでいたから、あたりまえなんだが、部品を替えるか替えないか。
なにより、腹が立つのがあたしが半日以上困らせられた現象を「再現不能」って!!
確かに、あれだ。
あたしも、お客さんところで起きたことが再現できずに「なにやったんだ」とか思ってることもあるけどやけども、ほんまにあれは腹が立つね!
で、お金かけて部品替えて・・・・。
昔高かったプリンターだから、あたしらはなんとかならないか、ってやるわけだけど、サポートのおにいさんは新しいの検討してくれだの、なんだの。
わかってるよー、今は安いんでしょ・・・。


で!で!
おにいさん帰ってやってみたら、あかんわけで。
で、また、報告したらあーだこーだ言われて、また謝って。
次の日にまた電話して。
ふたりめ・・・・。
この本じゃないけど、絶対この複合機担当者にちがいない。
次にやってきたひとは紙持参でやって来て、使い方についての注意点だのあーだのこーだの・・・・、と伝授して帰っていった。

けども、その後にガタガタ私が動かしたせいかなんなのか、わけのわからないものがボロボロ落っこちてきて!
また、電話をすると。
そのふたりめのおにいさんから連絡が。(作者さんが実話を書いた、と書いてたが、こういうのもそうだよな、ほんとに同じだよ)
で、軽くいなされる。
壊れやすい部品だとか、落ちても大丈夫なスプリングだとか、そんな風なので片付けるなーーー!!
と思うが、そんなもんらしい。

いや、あたしも逆の立場で「このシステムはこういうもんです」としか言えないものもあるんすけどね。


いやー、ほんまに先週のあたしは、この本そのまんまだったわ。
なんで、プリンターのせいで敗北感だの申し訳なさだのにならなあかんねん、とも思ったわ。
あの疲れ方は独特やね。
まあ、アレグリアほど性悪じゃないとは思うのだけどね、うちの複合機。
うっかり、アレグリアのヒミツを読み飛ばしたみたいなんで、近いうちに読みに行こうと思うんやけども。


パソコンや家電とつきあってても、こういうことはあるけども。
経験的に言うと、安物買いの銭失い、といい。
同じ製品にしても、どんな製品にしても、安いものは安いなりになんかある事は多いし、後からサポートでも不快なことも起きやすい。
なので、私はわりと正規の値段に近い、まっとうに買うことが多い。
そのせいか、PCにしても家電にしても、わりとイイコが多い。
まあ、ほんまに使い方によるんだろうが。


それにしても、結構働いてると、こういう経験って多いやろうなあ、みんな。
って思う。

ミシンや入金機やレジや両替機やストコンとか放送機器や金庫とか・・・・
いろんなのといろんなふうに戦ってきたなー・・・・
ずいぶん、保守の担当者とかサポートのひととあれこれやってきたけども。
結局、いかにそれらに合わせて加減しながら使うか、っていう感じだったな。

確かに女より男のいうことを聞く事が多い気がする、ってのはきっと、トラブル回避を論理的に対処するのが男が多い、とか女が機械に弱い、とかあると思うけども。なんだか、それだけじゃないぞ。

女が多いんだよ、きっと、あれらは。(ほんまか)

扱い下手なのは直らない自分も、なんだかな・・・。
ミノベくらいは努力しないと。
「おおきに、ありがとう・・・」
「篤姫」。
今週の「息子の死」には泣いてしまった。

「ものたりない」とまで思っていた松田家茂さん(失礼)でしたが、今日の死にゆく様、勝の腕の中の「悔しいのう」と「江戸へ、もう一度江戸へ戻りたかったのう」という言葉に、ほろり、ときてしまった。
大奥の女性たちに慕われ愛されていたにしても、頼りになる幕臣はいない。
身を挺して覆いかぶさってもくれる老中も大老も、もはやいない。
勝に向かって「そちはやはり、法螺吹きだのう」と言った言葉が、精一杯の彼の意趣返しでもあったのかなあ・・・。

確かに実際の家茂将軍が心労や過労で亡くなったといえば、疑うところはないものだけれど、この後の孝明帝の死、といい・・・
のちにこのひとたちの死を巡って陰謀説・暗殺説が出たのも仕方ないくらいの、変転だ。


ところで、先週の観行院さん。
タイトルのこの「おおきに、ありがとう・・・」に込められた京女魂がいやあ、素晴らしかったです。
登場人物たちの「かくあってほしい」と願ってしまう姿を描く、優しいこのドラマ。
彼女をああやって安らかに眠らせてあげたのも、非常に優しいと思った。

以前に「和宮様御留」という小説を読んだことがあった。
この小説の観行院さんも、「あり、がとう。御きげん、よう」と言い残して亡くなる。


この「和宮様御留」は、和宮の替え玉説(大奥に入った和宮は替え玉であって、本物ではない、というもの。その根拠としては幼い頃から足が悪かったと伝わっていたのに、そうではなかったこと。のちに発掘された彼女の遺骨のなかに左手首より先が残っていなかったといわれること)にそって書かれているもので、題材だけを聞くと「とんでも」と思うけれど、有吉佐和子の手にかかると異様な迫力とリアリティをもってして、ぐいぐい引っ張り込まれる。
和宮の替え玉となる少女フキの描写とその周囲で繰り広げられる人間模様にこちらも翻弄されて、フキへの同情と同化をしてしまったものだが、改めて今読み返してみると、観行院のことが気になって仕方なくなった。

この和宮の替え玉を思いつき実行するのは、観行院ひとりでありそれに従った忠実な乳母や女中たち・・・。
身内も外も当然ながらすべてを欺くその様が、なんとも過酷。
フキの側からみると、非情でもあり酷いひとでもあるのだけれど、和宮が東行を拒むのは将軍家への降嫁を好まない、というところではなく「足が悪い」ということであること、その彼女の強烈なトラウマのエピソードと観行院の頑強な思い。
それもまた、独特の寒々と怖いくらいの筆致で迫ってきて有無を言わせないところがある。
フキを替え玉にしつらえる様子や東行の様子をこれでもか、これでもか、としつこいくらいに書いてあり・・・そして、フキが毀れてしまうところがひとつの終わり、なんだけれども。

この小説のすごいところだな、と思ったのはその続きまでも書いてあって、和宮死去までに及んでいること。
この後の観行院と、もうひとりの和宮の替え玉の少女の大奥での様子がスラスラさらり、と書いてあるだけにものすごく気になるし(笑)、想像力を掻き立てられる。

フキももうひとりの替え玉のことも、母観行院にとっては、本当の宮さんのためであれば、なんということはない。
実兄を騙し、主上を欺き、幕府・将軍や大奥がわかっていて利用していたにしても、なんということはない。
ただただ、宮さん、のため。
だから、その宮さんの死を知った時に、「もう生きていとうないのえ」と命絶えてもしょうがなく、ただ宮さんの遺髪を「和宮」として葬ることだけを望んで息絶える。
大奥では本当の宮さんではないだけに、観行院はひとり寂しく寝つき、庭田にも邪険にされながら病状を重くして亡くなってしまう。

この観行院もまた、なんともいえず胸に迫る。
前に読んだ時にはただただ、妖女のような高貴な女性、といった感じに思った彼女が、またちがって思えてきた。

「篤姫」の彼女は、この小説とはまったくちがうようなのに・・・。
なんだか、背中合わせのように思えてならない、のだ。


どちらも、とっても京女ぽいな、と私は思う。


宮尾先生の「天璋院篤姫」とあわせて読むと、まったくちがって面白い。

それにしても、大河ドラマ「篤姫」は男がどんどん説得力をなくしていくなー。(苦笑)
大久保&西郷が、ハマりすぎてて憎らしいのはすごいけど・・・。

幻の声―髪結い伊三次捕物余話 (文春文庫)より
ISBN:4167640015 文庫 宇江佐 真理 文藝春秋 2000/04 ¥500

父の実家は、昔、畳屋だった。
おそらく祖父の代まで、戦中までは備後表を商っていたと思う。
広島県の東部に位置する福山市は、備後表の生産地だった。
いぐさから編んでいたわけではなく、畳表を仕入れてさらに職人さんに出して出来上がった畳を卸したり商ったりしていたのではないかと思う。

父は次男だが名前に「三」がつくし、実際父がなんとなく話していたことによると、父と伯父の間にもうひとりきょうだいがいたかもしれないが、とにかく父は次男であり男きょうだいの真ん中、だった。
祖父は学問好きの長男である伯父ではなく、体質は虚弱ながらも口が幼い頃からたち(3歳にして畳を納めに来ていた大人に向かって厭味をいってたらしい 笑)、はしっこそうな次男に跡を継がせるつもりで、本人の意思を問うまでもなく商科の高等部に通わせていた。
戦中焼け出され、農家の親類に身を寄せたりなんだり、での苦労があったのか、祖父は50代になるかならないか?で亡くなった。
父の高校生時代のころだった、という。
ここで、祖父の計画は流れてしまった。
英語の教員をしていた伯父は仕事を辞めて家業を継ぎ、父は商科から教員をしていた伯父の手前もあってまじめに勉強していたおかげで受験に間に合い、京都の大学に来ることになった。
祖父を亡くし伯父が跡を継ぐ、ということになって、かえって父は進学の道を選ぶことができた。

この時の伯父の苦労や苦学ながらも進学を許してもらったことは、ひと回り以上年上の伯父へのなかなか返すことは出来ない恩義であるとも思う。
ただし、父本人にいわせれば、それもこれも祖父のおかげ、だと思っていたようだ。
父は学生だった頃、実家からの仕送りがわりに、関西地方の温泉旅館に実家の畳店の集金に回っていたことがよくあったという。
集金できなければ下宿生活はできないわけだし、実家には送る金はない。
さらには集金だけでなく、次の注文を取らねばならない。
遠方の実家からそうそう、お得意先回りにかかれないから、だ。
その頃はもう、ほとんど九州からいぐさを仕入れて・・・、ということだったらしい。
事情はよくわからないけれど、「備後表」を商っていたわけではなかった。
父なりの苦学生時代の話だ。

父は大学を出て、将来有望だと思われる業界の会社に入った。
死ぬまで誇りに思って、好きだと言い続けた会社だったから、父も本望だった、と思う。
父は、働き始めて祖父の遺産と自分の蓄えで結婚する頃には家を建てた。
その時から、10年前に家を建て替えるまでのわが家は、和室が多かった。
その部屋に敷かれていたのは、父の実家からの伝手の畳だった。

昨日手にした本、宇江佐真理氏の「幻の声」に収録されていた「備後表」という短編を読んだ時に、ふとその畳を思い出していた。
この小説に書かれている畳表はもっともっとすばらしいものであったにちがいないけれど、あの頃のうちの畳も、よかった。
小説のなかで出てくる文章を読んでいて、思い出した。

しっかりと太く編んで詰まっている畳表は、年月が経ってもほころぶことはなく、弾力がありながらもきしむことも浮くこともない。埃は掃き出せば十分に出てくるし拭けばさっぱり、とする。
青くさわやかな香りのする新しい時も、裏表返した時もよいが、年月が経って日に焼けようとも光沢がある、表面。

何度か替えたことはあったけれど、最後に替えたのは私がまだ、学生だったころか。
たぶん、畳表を編んだものを近所の畳屋さんに拵えるのを頼んだのだと思う。
伯父はとうに廃業して英語塾を開き、その頃にはとっくにリタイアしてしまっていたから、ほんものの備後表を扱う畳屋が親戚にいたから、福山から畳表を送ってもらって仕上げを近所の畳屋さんに頼んだのだと思う。

10年前、家を建て替えた。
和室はひとつだけ、になった。
木造の築30年くらいの家、がとても過ごしやすい家になった。
ただ、残念だったことはこの和室だった。
新しく入った畳を見て、「こんなにちがうものか」とびっくり、した。
そんなにお金を掛けなかったせいもあるけれど、そのちがいにびっくり、だった。

だから、時々昔の畳の多かった家を懐かしく思い出す。
しっかり、としたあの畳とともに。

今日は、父の命日だ。
もう少し、祖父が生きていたら父は故郷で畳屋を商っていたろうか。
それでも、さっさと自分のしたいように・・・たとえば、電機屋さんにでもなったり、どこかに勤めていたろうか。
子供の頃はそこに居た父を当然のことのように思っていたけれど、その父の人生の選択を思う。

宇江佐真理氏の「備後表」には、「母」を思う男たちがいる。
その「母」は、備後表を拵えることが人生であり誇りのひとで、冥土の土産に自分の拵えた畳の部屋を見てみたい、と願う。
「母」の作る備後表は大層すばらしいので、それはお城やお屋敷に納められて、庶民の彼女が到底眺めることは叶えられるものではないが・・・、というお話。
これが、実に実に染み入る話だった。
後書きでドラマで伊三次を演じた橋之助さんが、このお話はとてもよい回だった、と書かれていた。私は見逃してしまったけれど、機会があれば見てみたい。

東京奇譚集

2007年11月28日 読書
ISBN:4103534184 単行本 村上 春樹 新潮社 2005/09/15 ¥1,470

ひさしぶりに本を買ってみた。
日記仲間さんが「走ることについて語るときに僕の語ること」について書かれているのを読んで、ぜひ読みたい!と思っていたところ、書店で手に取るとこれまた、章ごとにゆっくり分けて読めそうなので、買うことにした。
その横にしっかり置かれていた「東京奇譚集」文庫本。
なので、これとは装丁が異なるわけだけども、ショートだしぱらぱらとページを繰ると面白そうだし。
書店員さんと出版社さんの営業力をかって、どちらも購入。
アマゾンなどで買うと少しはお得になっていくのかなー、とは思うものの、書店で本を手に取る楽しさには変えられない。

で、全然ブックレビューになってないんですけども、読めたらこの下にでも追加します。
あー、楽しみ!

今年はほんっとに本を読まなくて。
というか、一昨年からとんと、本も映画もドラマも見ることが出来ていません。テレビは運任せになっているし、映画は「HERO」くらいかな、あとは前売りで「続ALWAYS」を買ったので、そちらを見に行こうかな、と。
レンタル屋さんもずいぶん長い間行っていない。

本は「白夜行」がまだ枕元に置きっぱなし(汗)
最近は睡眠導入のために、馴染んだ本を繰り返し読んだり新聞や家にある雑誌やPR誌のコラムやエッセイを読む程度なんだけど、それでも案外、楽しくてそれだけで終わってしまう。
私はどちらかというと、読書は小説派だったし、映画やドラマもハマると毎日でも繰り返し見ていたものだけども、今はそうでもない。
以前、仕事で立ち仕事が多く休みもなく走り回っていると、家に帰ると動きたくなかったし落ち着いてじっくり、という感じだった。
今は逆かな。
仕事や勉強で机やPCに張り付いていると、運動したくなる。
そうなったらなったで、今までにない感覚や身体が変わっていくのが自分では感じて、ハマる。

今、本ならエッセイかショート。
時間の隙間に読んでみよう、と思う。

しかし、仕事中に逃避日記を書くのが常習化しとりますが。
あうー、仕事おわんのかー!
という感じです。

・・・仕事に戻ろ。
ISBN:4592187881 コミック 中条 比紗也 白泉社 2007/06/19 ¥750

※レビューし直しました♪
こういうアップの仕方のほうがスジかと思いましたので。
先に書いていた削除してしまったレビュー分に、コメントいただいていました。
コピーして、こちらでつけさせていただきました。
私の名前の書き込みになっちゃいましたが、どうぞよろしくお願いいたします。(ペコリ)
画像は「それが痛みでも」の木村&森、みたいな泉サマ&中津。(笑)

ココから本文↓↓↓

ネットカフェにいます。
昨日から通って一気読み。(笑)

ドラマを飛ばし飛ばし見ていて、漫画を読みたくなって。
久しぶりに少女漫画読んだなーッ!!

いや、楽しかった。
どこかで見た絵柄、雰囲気・・・・、と思わないでもなかったけど、キャラもストーリーも楽しかったですわ。

昔から、こういう主人公のキャラは大好きだし、やっぱり王道だよ。
全寮制の男子校ってばさ。
うふ。

でもって。
やっぱ、いいやつだ。
お前はいいやつだ。

なかつー!!

なかつファンになりやした、ハイ。(笑)

泉くんはもうね、ヒーローまっしぐら、のお方ですから、いいんですもう。(笑)
しかし、こんなにラブラブだったとは思わなかったですよお、ミズキちゃんと。
読んでてどきどきしちゃうよねん、こういうシチュエーション。
ああ、書きてえーーーーーーッ!!(結局そっちか)

でもって、ドラマ見て「どこがイケメンパラダイスやねーん?!」とか思っていたが。←ナニゲに猛毒。
原作はこりゃまた、絵に描いたようなコたちばっかりだけども、原作読んで、好感もてたわ、うん。ドラマに。(笑)

8年も続いた作品だったのですね。
最後の3冊くらいが、絵柄変わっちゃって、スッキリと洗練しちゃたのがかえって、惜しいかなー、なんて思いますが。
大団円、もよろしかった、かと。

でもって、やっぱし難波先輩っつーのは、木村さんがモデルだったの?(大笑)

はー、楽しかった。

さて、帰らねば!

腹が減った!
画像、帰ったらちゃんとアップしなおします!
ISBN:4072491209 単行本 アイディ 主婦の友社 2005/11 ¥2,940

オリスマでの歌詞。
「マイナスのことばかり」と思っていたら「マイナスの事柄ばかり」と載っていたところがあった。

ええええ?!
そうだったん?
ずっと勘違いしてたよ!あれえ?
と思っていたら、「事柄」で「こと」ね。
←歌詞カードで確かめた。

ちぇ・・・まぎらわしい。

現在、マイナスの事柄ばかり、ことばかり考えてしまう。
僻み癖が出てきた。
春からの私の居場所は職場にあるんだろうか??
いやあ、ほんまに使いもんになってないもんなあ。

366日の誕生日占いの本をお昼休み、立ち読みした。
どうやら私の場合、誕生日から占うとマジメで勤勉、現実的、らしい。山羊座も、そうね。
だけど、射手座の影響も受けるので、思い切りがよいところもあるみたいだ。
長所はあまり当たってない気もするけど、自信がないとどーん、と落ち込む、というのは当たってる。
ま、どの誕生日読んでもどこか当たってそう。(苦笑)

・・・いかんいかん、やっぱりどっか僻んでる。

中居さんはほんとに、占いが当たるひとだ。
またまた、ピッタリ、だった。

もう、ダメだ。
記憶力が全然ない。
内容よくおぼえてないやーっ

とにかく「医学とタレントにむいてる」「リーダーになるひと」とか「革新的なチーム」とか、そんなことが書いてあった。
大事なこと忘れてました。
「癒す力」があるそうですわ、8月18日生まれのひと。

べんきょして帰って来たら。
母が「適当にしないと病気になるよ」と言った。
母は20代の頃ずっと夜更かしを続けた挙句に、咳も出てないのに結核の恐れ、とかで半年入院したし(しかも、よくわからないうちになし崩しに退院したとかいう・・・)、父は私の年齢以前から病気になった。
でも、だいじょうぶ。私は怠惰だから。

「絶対、からだ強くないから」と言われ続けてきた体質だけど。
母が気をつけてくれていたからか、今まで健康優良児。
学校で皆勤賞も貰ったし、前の会社ではとうとう、病欠しなかった。(2時間早退はしたことある)

身体動かすような仕事のほうがむいてるのかな?

・・・・はぁ〜

ああ、また愚痴っちゃった。

前は見たらイライラしたアニメ「NANA」を見ていたら、ハチの方のナナがママになってる・・・・。
ありゃまあ。(驚)

明治チョコのCMはなぜか、よく遭遇する。
というか、レギュラー番組は見られてないけど、ダンロップもホットペッパーもよく見かける。

仰天はチョコっとだけ。
真顔、かっこいいね。
ああいう真剣な顔はステキよ。
顔立ちがね、中居さんの場合は怖くなるの、真顔だと。

あの不憫な歌「Smac」の時の中居さんの顔といったら、和賀ちゃんのあの怖い顔より怖かったもの、無表情だったら。
そう、あのヒロミの台詞は、「模倣犯」を見た5月の日から(試写会に行ったんです。はじめて見た衝撃のピース吹っ飛びシーン。あの時のダイヤモンドよりも固い静寂。あんなに怖いものはない・笑)私の常套句。
ほとんどスルーされます、中居ファン以外。うふふん。

いやあ、やっと、やっと、なんか暖かい!って感じ!
私、どっちかっていうと3、4月よりも、5月の方が好きやわ。
そして、6月よりも爽やかで。

まさに風薫る5月、緑猛き5月。
そう、なんか猛ってるのよ、緑が。
4月より、5月の方が生きものは勢いづいてる気がするんだわ。

などと外を眺めつつ、お休みなのにお勉強に励んでおりました。
そのため、もう頭がナルト。
理解力がないのではなく、忍耐力がない。
注意力散漫。
うーむ、どうしたものか、学習するという能力がやはり衰えてきているとしか思えない。
判断力、決断力と反比例するのか、これは。

とかいいつつ。
少しは勉強に励んでる(ように見える)自分にちょっと自己満足を覚えている自分って、やはり自己愛がキツイタイプなんかな〜?なんて、エニアのことをまだ考える。
あぶないな、自分の性格をタイプに合わせてしまいそう。

エニアグラムとかの分析。
あの謎めく佳人(言うが勝ち、ですぜ)中居さん。
そして、和賀ちゃんとか直江先生とか、どうなんだろう。
ああいう人たちって(たち、って・・・笑)、見せたい自分と本当の自分との乖離が大きい気がするなあ。
それは苦しかろうけれど、乖離をただすのはそれ以上に苦しい。
そんな、気がする。
でも、たださなくてもいいのかもしれないな、とも思う。
その人たちの幸せは、内面の乖離のバランスにあるのだから。
自分を苦しめるものを認めて受け容れられれば、きっと、そのバランスは、えもいわれぬ美しさを産むのだ。
まさに、どんなに否定しようとも、揺るがない美しさ。

赤毛のアンでは、こんな言葉が出てくる。

「あんまり美しくて、痛みを感じるくらいですね。」
「ああいうふうにかんぺきなものを見るといつも、痛みを感じるんです
――子どものころそれを、“おかしな痛み”といっていました。
どうしてこんな痛みとかんぺきさが、切りはなせないのでしょう?
これでいきどまりだということの痛みなのでしょうか――
この先にはもうなにもなくて、あともどりするほかないとわかっているという?」

「ほかの人ととてもちがっているのは、確かにひどいことではあるけれど、
ほかの星から迷いこんできたようで、すてきでもある。」

「どんな人生も、試練や悲しみをへなければ、発展もしないし、ふくらみも出ないのよ」


しかし、自分に置き換えて考えてみる。
以前と比べると心理テスト、分析みたいなものの結果では、私はどんどんイイカゲンで、お気楽になっていっている。
根本は変わらないけど、人との関係性だとか理想観は変わっていくものだとは思う。
感情面や価値観は、そう簡単に変わらないかもしれないけれども。

昔の私は、ものすごーく、自省的なのね。
ほら、信じられないでしょー?(笑)
ひとに対して書いてる文章なんかは、今とあまり変わらないんだけど、あの頃の自分の口癖は「なんか、いいことないかなー」「嫌いだー、自分」とかばっかり、だもの。
私にとって、仕事をするだとか好きなひとやものを誰かと共有するだとか、が本当に充実感に繋がっているのだと思う。
学生時代の頃の私は、わりと悲観的で自省的、そして真面目だった。
そういう、年頃でもあったんだろうけれども。

そうして、今日もまた、支離滅裂なもの思いで夜は更けるのでした。(笑)

明日は、またお仕事だ。
明日、明後日、と。

ゴールデンウィークは、したいこととやらなきゃいけないことと、遊びに来るひとの予定で、それなりに埋まりつつある。
あっという間、だね。ほんと。
どうしましょう〜。

こう書けるのは、とてもいいこと。
きっと、とても。

「よくよく考えると、世の中って、そんなに悪いものじゃないわね、マリラ?」
「リンドのおばさんはこのあいだ、つまらない世の中だって嘆いていたわ。
なにかすばらしいことがあると思って楽しみにしていると、
必ずといっていいくらい、がっかりすることになる――
期待どおりということはないって。
確かにそうかもしれないわ。

でも、ちがう見方もできるんじゃないかしら。
悪いことにしても、考えていたほど悪くなかったということもあるでしょ。」


「赤毛のアン」をまた、読みたくなった。
家にあるのは、村岡さんの訳のものだけで、それを出してこようと思ったのに、すぐには出せなかったので・・・・。
講談社の掛川さん訳のものを引用しました。
それも、あちこちで調べて。(苦笑)
なぜか、5月は赤毛のアンを読みたくなる、そんな私です。

おんみつ蜜姫

2006年1月12日 読書
単行本 米村 圭伍 新潮社 2004/08/19 ¥1,890

豊後温水藩の蜜姫は、母である藩主の国許の側室・甲府御前のもと、のびのびと育った評判の暴れ姫。ある日、お国入りした父から、自らの嫁入りの話と嫁入り先の風見藩との合併案を打ち明けられる。その矢先に、父が何者かに襲われて傷を負ってしまう。
藩の合併案のみならず、将軍家の弱味を握っていたから狙われたという。
蜜姫は合併を阻止すべく刺客を放った八代将軍・吉宗と闘うため、そして結婚相手を見定めるため、武田忍びの忍び猫・タマを供に出奔・・・!


時代小説には、「姫君小説」なるジャンルがあるらしい。
米村圭伍さんという作家は、ほかに「退屈姫君伝」なども書かれている。どうやら、今までの著作とリンクしている部分が多いようだが、この一作だけ読んでも、充分楽しめる。
時は、八代将軍吉宗の時代、だけど主人公蜜姫も、生まれの豊後温水藩も、出てくる風見藩も架空(フィクション)。
軽妙な文章と現代的なヒロイン。気軽に読み進めるが、その破天荒っぷりにこまごまと時代考証がなされていて、面白い。
合併を目論む小藩と、将軍の一大スキャンダル・天下の暴れん坊将軍の隠し子「天一坊」騒動、名奉行大岡越前、吉宗の最大の政敵尾張松平家との暗闘・・・・。
なのに、登場人物が雲をつくくらいの大男の海賊だったり、和歌のうまい蜜姫の母上だったり、武田忍びが仕込んだ最強の忍び猫・タマだったり、色男な忍者だったり、小藩の冷や飯食いの侍だったり、とキャラクターも個性満載。
なかでも、吉宗のキャラクターは面白かったし、天一坊のくだりは、ジーン、とさせられる。
最強のキャラは、蜜姫の母、甲府御前だ。(笑)

これは、新聞連載小説だったみたいですね。
テンポがいいし、段落分けがはっきりしていたので、なるほど、と。
「退屈姫君伝」は読んでいて、どうかな〜?とは思いましたが、こちらは気に入りました。他の著作も機会があれば読んでみたいですな。

星へ行く船

2005年10月26日 読書
ISBN:4086104075 文庫 新井 素子 集英社 1981/01 ¥460
あたし森村あゆみ、19歳。現在進行形で家出のまっ最中。家を捨てるついでに、地球まで捨てるでっかい覚悟で乗り込んだ宇宙船で、あたしはさんざんな目に! いったい、家出はどうなるの!?


このシリーズのヒーローが、私の理想の男性だった。(笑)
実は、今でも。
ぶっきらぼうで、口が悪い、余計なことを言うけど、肝心なことはなかなか言わない。
基本的に女性に弱いが、いざという時には、誰よりも強く優しい。
間違って優柔不断な男に恋しても、やっぱり違うんだよなー。

というのを、日記仲間さんとのヒミツ日記でのやり取りで、思い出した。
このシリーズの中では、「やっかいごとよろず相談所」なるものが舞台であり、まあ私立探偵ものということにも、なるのでしょうか。
松田優作さんの「探偵物語」、近いところでいえば木村さんのドラマ「ギフト」のようなもの、ああいう題材で、中居さんのやつやってくれないかなー、と、ふと思う。
あと、見ててじれったいような、男女の仲、ってのも好きなんですよ、だははは。

クリスマのジュンサと、フケイでそんなお話なんか、どうだろう?
なーんて、空想しはじめている。
ISBN:4398118071 単行本 昭文社編集部 昭文社 2005/07 ¥1,785

今現在(2005年10月)、イタリアに関してもっとも新しい、と思われる旅行ガイド本。
情報自体は、2005年5月のものらしいですが、美術館・展示物等の情報は、私が行った所では最も正しく、新しいもののようです。
が、行きたい美術館や博物館の情報は、旅行代理店や直接の問い合わせをするのが一番・・・・これはまあ、イタリアに限らずそうなのかもしれないんでしょうが、しょっちゅう、改修工事をしていたり、見られるものが見えなくなったり、逆に見えるようになったり、ということがあるから、のようです。
また行きたくなる場所、今度こそ見たい場所がある、そんなイタリアです。

聖少女

2005年6月14日 読書
ISBN:4101113092 文庫 倉橋 由美子 新潮社 1981/09 ¥336

作家の倉橋由美子さんが亡くなったという。
ずっと、気になってきた作家さんだったが、イイカゲンな私のこと、著書は、少し読み齧っただけ。
短編集を読んだことがあったのかな、というのと、この「聖少女」を読んだことがあった。
昔、本をなかなか、買わなかったのも、なんだか後悔しますねえ。
とか言って、これからの暇にあかせて、本を買い漁るとどうなるか怖いので、図書館通いを復活させようか。(笑)

この本を読んだのは、高校1年生の夏のころで、図書館で借りた。
別に潔癖症でもなんでもなかった(それどころか、読書の上では結構な耳年増だった・大笑)私なんだけど、それでも、読んだ時の印象が鮮烈だった。
それで、この本はすごく「小説的」だー、と憧れた。
家に持ち帰った時は、なぜかベッドの下とか、枕の下に隠して読んだものだけど。
今でも、なかなか、あの読後感を超える本には、たくさん出会えていない。
本と出会うタイミング、というものがあるとすれば、私にとってあの本と出会うタイミングは、ピッタリだったな、と思う。

少女、というものの、独特な香り、というものがこの小説にあって、よく指摘されているように、それは少女マンガより、10年進んでいた。
確かに、私が読んだ、少女マンガと通じる少女観がそこにあったのかな、と思う。
それが、少女の一人称でなく、ノートに書かれていたり、若い異性の知り合いから書いてあることで、想像なのか小説内真実なのかがわからない感じがあって、それがミステリアスだった記憶がある。
主人公の未記という子が、記憶喪失になって、しかも、意味ありげに、過去のことを書いているノートがあるなんて、いかにも、でしょ?
ふふふ。

ここまで書いてなんだけど、これも全部十数年前の記憶を頼りに書いているので、どこまで合っているんだか。(笑)
調べてみると、絶版になっているのかな。
うわー、私も歳をとるはずだわー、って。
この小説って、私が生まれる前に書かれていたのだったかな。

後年の「大人のための残酷童話」(そういや、この後同じような本が増えたよなー・苦笑)も、そうだけど、こうした本が好き、っていうのは、人にはなかなか言えるような言えないような、って感じだったなあ。
それでも、「大人のための残酷童話」より、「聖少女」の方が好きだった。
あの夏に出会った本を生み出してくれた、倉橋由美子さんに感謝。
猫になりたい水曜日から、木曜日に日は移りました。
雨も降ってきて、犬も寝ている真夜中、書き仕事をほっぽり出して、
お風呂の中で読みかけの小説を読んでいた。
さだまさし「眉山」。
さださんの前作「解夏」は、読んでいない。
本屋で見つけた綺麗な装丁に惹かれて、数ヶ月前に買ったものを読んでいた。
それで、感想を書いてみようかな、と。

まず、読後感としては「精霊流し」の方が、流石、自伝的小説と謳ってあった
だけはあって、迫力があったように思うなあ〜。
小説って、難しいですね。
書いてある主題だとか、展開は面白いですし、興味深いです。
なんだか、また身につまされる部分もあるしね。
・・・これは多分、あまりに主人公のお母さんが天晴れすぎるからでしょうね。(苦笑)
文中何度も、いろんな登場人物が彼女にハハア〜〜、と平伏しちゃってるんだけど(笑)、
読んでいるこっちもそうなのね。彼女はあまりに立派すぎる。(笑)
まあ、娘から見た母、っていうのはそういうものなのかもしれません。
私も、結局、母には頭が上がりませんし、ひとりの女としての技量や器量も超えられないなあー、
って思うことがありますし。

それから、この小説は、とても劇的です。
すぐにでもドラマや映画に出来そうだな、ってところがまた、しょうがない(?)ところですね。
でもね、小説にはないものねだりで、「小説的」なものを求めてしまうものなのです。
ステキだけど、これ映像化するとしたらどうしたらいいのかな?っていうくらいのものも、
求めてしまうものなんです。
私は、そういった文を書けないもので、余計にそういうものに憧れてしまいます。

という理由で、私は、さださんは、やはりシンガーソングライターの顔の方が好きなようです。
でも、そうは言っても、とても文章が上手い方です。
あれだけの詞を書き、あれだけの語りが出来る方ですから、こちらの心を捉える術は、
とても長けてらっしゃいます。
コンサートのMCの時に、ジーンとくる直球的な感じが、小説でも感じられます。
でも、小説というのは、それじゃあまた、物足りなかったりするんですね、本当難しいものですね。
とまあ、好き勝手なことばかりを書きましたけれど、これはあくまで、私の好みの問題です。

ところで、青年医師や看護師が放った心無い驕った言葉に対する主人公の
お母さんの一喝は、読んでいて、そうだそうだ、まったくだ、と思いました。
父の入院時に、話していたことや感じたことが思い出され、
その時の悔しい思いだとかが甦ってきたりしました。
患者や家族と医療従事者との関係・・・・。
これを掘り下げすぎると、また生々しかったりするんでしょうが、
うまくそのあたりは、まとめていますね、この小説。

実際、母親の秘密より、最後の青年医師のくだりの方が、グググッと胸に来ました。
でも、母親の秘密=娘への贖罪、懺悔、そして最後、その秘密がうまく医学の話とも絡んでくるわけです。
天晴れ母さんの真実は、最後までハハア〜、といった感じ。

で、どうしようもない私は、すぐに直江先生とか倫子とかあさみのことを考えてしまうのだった・・・。
私は、これから、こういった小説を読むと、そういった視点から逃れられないのだろうか。(苦笑)
竹内さんの結婚報道について。
「平気だよん」って感じにはしてても、やはりモヤモヤがあったり・・・。
やっぱ、私も「白い影」ファン、ってことで。
我ながら、ちょこっと驚きました。
いや、いつかこういう日は来ると思っていたはいたので、まあ、一時の感傷かな。
多分、「白い影」これからも、喜んで見られると思うし、妄想も書きたいと思うし。
あとね、これは、書くか書かないか迷ったけど。
悪いけど、小橋先生と結婚されるよりは、ずっといいです。(爆)
いや、なんか「白い影」の中のキャストはやめてね、っていう意味でー。

で、中居さんと竹内さんとの再共演は、本当にいろいろ考えたのね、私。(笑)
兄妹役も、かわいいと思うし、(似てるよね、あのふたり・えこさん同感ですわ!)
前にえこさんの書かれた幼馴染、のお話(すいません、ここに書いちゃって)とか、
すごい見たい見たい、って思ったのね。
それでもって、私、このマンガ「円舞曲は白いドレスで」を、是非映像化して見てみたいなー、
なんて思うんざますよ。
今でも、まだ夢見てます。

まず、この主人公の湖都ちゃんという女の子のバイタリティは並みではありません。
そこが、倫子=竹内さんに、ヒット。(笑)絵の感じを見てても彼女にピッタリ。
で、中居さんですが、鬼堂院将臣。
彼女の憧れの従兄であり、許婚でありながら・・・。
という、人なんですが、軍人であり名家の跡取り。
冷笑家であり、一見冷たい白皙の美丈夫(ぷぷぷ)であり・・・、
という人で、とてもストイックでステキです。
内に秘めたものの深さ、というのがまた、いい男なんですよー。
なのに、湖都ちゃんったら、異国の王子様みたいなサジットくんと駆け落ちなんかしちゃうのー。
いや、サジットくんも太陽のような人で、物凄く魅力的なセクシーな人なんですが。
でね、このサジットくんと湖都ちゃんの恋物語なのかなー、なんていうお話なんですが、これがまた。
将臣さんがめちゃ、ステキなものですから。
もう、最後食っちゃってますからね、主役の座を。
(おー、そういうとこが中居チックでええやん)

とまあ、いろいろ思いながら、昨夜から一気読みしたんですが。
やっぱ、ぴったりー。
もう、読んでて、いろいろ思っちゃったー。
将臣さんは、なんかもう、直江先生と重なっちゃうし。
でね、前に読んだ時に、将臣さんに肩入れしちゃってて、サジットのことは、あんまり思わなかったんだけど。
サジットは、どっちかというと和賀チックだと思いました。(恐らく、読んだ人はどこがやねん、って思うだろうけど)
湖都ちゃん、って子も、なんとなく倫子を思わせるしね。
結構ねえ、タフで、うらやまちー!って子なんですが、ね。
「赤い月」(映画)より、こっちのマンガの方が、読んでて、感じがいいなー。
←なかにし礼さんの小説はまだ未読。すみません。
ま、所詮、こっちはフィクションですが。
男の方がロマンチックで、女は現実的。
そして、逞しいのかもしれないな、なんて思ってしまったのだった。

そんな後に見た「anego」。
び、微妙・・・。
なんて思えばいいのかね、こりゃ、って思った。
しかし、あの会社って一体・・・。
ま、まあ、ほんの一部分よね、あの会社のね・・。(たぶん)
ドラマ「凍える牙」でユリさん(天海さん)が音道を演じたら、あまりにハマり過ぎていた・・・。相棒の刑事も。(笑)

不覚・・・

2005年1月26日 読書
今日は、今さっき帰って来たばかり。
しまった。
今週こそは、救命病棟24時をビデオに録るつもりが忘れていた。
しまった。
日記が、また飛んだ。(笑)
まー、毎日じゃなくていいっかあ。すいません・・。

救命病棟24時の一回目を見たときに、仕舞い込んでいた本を取り出して、また読み出した。
「大震災名言録」という本。
震災に遭った藤尾潔さんという人が光文社から出した本なんだけど、これが面白い。
不謹慎なんだかどうだかわからないけど、結構ニヤリニヤリとしてしまう本。
(こうやって笑ってしまってもいいことなんだわ、って思わせてくれる本でもある)
その中で。【最も安全な部屋】というのがあり、それによると、阪神大震災の時、
警察署の建物は壊れても、留置場は壊れなかったそうである。
ということは、拘置所も、刑務所も、壊れないんだろうな・・・。と、連想し。
「じゃあ、和賀は・・・」という思考に到達した自分が、かなり・・・。(苦笑)

和賀という人は、たんぽぽのような人だと思う。
どんな固い土の中でも、冷たい季節を過ごしていても、根を張って生き延びて、
花を咲かせようと日の光に向かって伸びていく。
逞しくて、強くて、健気で。
でも、きっと空と太陽を待ちわびて、寂しくって。
でも目に見えないけれど、風や日の光や水が、そんなたんぽぽを見守ってくれたんだとも、思う。
だから、たんぽぽは優しい顔をしている。

春は、きっとやってくるよ。
だから、何があっても、もう一度花を咲かせよう。
ふう、と誰かが吹く吐息に乗って、わたんぽに形を変えて、新しい種子になって飛び立とう。
そうやって、病を得た誰かの力になれるかもしれない。
そうやって、心が疲れた誰かの力になれるかもしれない。

だから、きっと生き延びてほしいな、と思う。

同じ魂を宿した、湖に眠るあの人の分まで・・・・。

若子さんの日記を読ませていただいて、なんだか私も、ふとそんなことを考えて、
脈絡もなく書きたくなりました。ああ、支離滅裂。(笑)
どうか、お願い。
天変地異が起こっても、どうかあの人たちを守ってください。
この世に本当は実在しないはずの和賀さんも。
そして、私にとって必要な、あなたも。

0:07

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