中居正広というひとは、本当に謎めいている。
今回のいわゆる「貝まつり」(笑)でも、そんなことを思う。

今日は「ぴあ」と「いきいき」を読んだ。

実は、これまでのいろんなところに掲載されている中居さんのインタビューも記事も、見ていないものが多い。
けれど、今回、このふたつを読んでみて・・・やっぱり、いままでのものも全部読むべきだったのかなあ、とも思った。


謎めいている、
と書いていたものの・・・・、今回の中居さんがあちこちの媒体で語る言葉はとても正直なんじゃないだろうか、とも思った。
やっと、今になって語ることができること、語られることが叶うこと。
そんなものが、出てきたのではないか、と。
「いきいき」で、書いてあったことで、初めて知ったことがあった。

「釣瓶さん、絶対に出てくださいよ」と言ったこと。
剛が出演することをとても喜んでいたこと。
3年前に橋本忍さんに映画化したいことを福澤監督が申し出た時のこと。
─「彼(中居さん)以外では撮らないと決めていたし、中居君も何年かかってもこの役をやりたいという意気込みがありました。」(いきいき 20008年12月号より 橋本忍さん)─

こうしたことは語ろうとしない中居正広、がいる。
今、本人が語る沢山の言葉は真実であり、芯はぶれずに真っ直ぐでありながら、それでも、どこかめくらませられている気がする。
テレビを通してのインタビュアーはともかくとして、雑誌のインタビュアーはやはり、中居正広に迫るのは容易ではなさそうだ。
むしろ、「いきいき」の記事の冒頭のようにひとりで話しているような形でまとめられたほうが、より、いいのかも。


また、監督や共演者の語る言葉は映画の題材がエンターテイメントではないから、派手派手しく飾り立てるようなものが少ない。
そして巧みな演技についての論議、でもない。
(役作り=急激なダイエット、ばかりが目につくのは・・・とも思ったけれど、強烈な体験ではあったにちがいないし、不可欠なことだったろう。)
いかに映画作りの取材が大変だ、とかセットが大変だ、とかいう話でもない。
とにかく、主役とそれを取り巻く状況であり、戦争という事柄が描かれているのだ、という。
演技力というものではない、人間性や心の底にあるものが必要だった、と。

ファンを自認していると、否応なく映画の内容はある程度知れてくるけれど、どのようなものになっているのか。
気になってたまらなくなってきた。

「白い影」に出会って、中居正広の芝居魂や役者としての資質。
それはより、自覚的に他覚的に認識されたように思う。
皮肉なことだけれど、中居正広が演じることに慎重になったのは、きっとそのせいだと・・・まあ、それは本人がそう言うのだから。
そうだろう、とは思っていたけども、そんな中居さんが誇らしいとともに、きゅーっと痛いなにか、がある。
もっと「許して」いいものがあるんじゃないか、とか。
「守られて」もいいものがあるんじゃないか、とか。
そんなことも考えるのだけども、ねえ。
ああ、なにを言いたいのかわからない。(苦笑)


でも、ねえ。(笑)
一方で、楽しめる演技、というものもやってほしいな、とも思うのだけど。
どうですか、今度の映画を見て。今までを見て。
誰かあの謎めいてるけどあまのじゃくそうな、ややこしい主演俳優を口説いてくれないかなあ。
今は映画のことで頭がいっぱい、なんだろうけれど。
また、なにかが動いてくれているといいのだけど。

その時は、できれば3年も待たせないでくださいね。(笑)

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