島原城
島原城
島原城
お昼に泊まっていたホテルで一服してから、予約したタクシーと待ち合わせ、島原城へ。
途中、平成新山のまん前を通った。
以前の噴火口と土石流が流れたあと。
道と山の間には棚田も畑も民家もたくさんあるし、緑ゆたか。
そして、道から反対には海。
その距離感の近さに驚きの声をあげてしまった。
山と海の距離は6キロくらいしかないという。
平成新山が迫ってくる感じがした。
そして、島原港の前も通った。
そこから熊本へのフェリーが出航するところだった。
タクシーの運転手さんの話によると、フェリーが出ると鴎がついてきて、餌のえびせんをねだってずっと周りを飛んでいるのだという。

島原城。
一度、行ってみたいと思っていた。
この島原城は復元されたものだけれども、天守閣にあがってみた。
母は途中までだったけれど、私は上まで。
途中は資料館になっていて、それらを見ていたら時間が足りなくなりそうだった。

島原の乱は幕府によるキリシタン弾圧、と教科書に載っていたわけだけれども、もちろん、そういう側面があるのだけれども。
名城といわれた島原城を建てたことによる経済的人的負担の過酷さに苦しんだ庶民の戦いだった。
しかも、その蜂起さえも反乱軍(浪人や土着領主が指導的役割を担った)に強制的に参加させられたひとたちも多かったという。
近頃、それを題材にした本も出版されていて、この乱に対して興味を持っていたのだけれども、資料館にもあの天草四郎時貞のことを「指導者に仕立て上げられ」(はっきりとは覚えてないのでいいかげんかもしれません)と説明書きにあって・・・なんとも、心に残ったことだった。
キリシタンへの扱いについても、地方によっては差があったようで穏便にすませて信者から犠牲者を生まなかった地域もあったということだった。(それでも隠れて信仰を続けていたひとびともいた)

ちなみに島原最後の藩主は、徳川慶喜の実弟。


島原城から、諫早へ。

そして、諫早から博多、京都に帰り着いたのは20時過ぎ。

乗り継ぎがよすぎて(笑)、3日は昼、夜はあまりまともに食べられなかったけれども、ご馳走の食べすぎだったのでちょうどよかった。

でもねえ、太りました。

えらいこっちゃ、です。

11月からこっち、5キロ近く太りました。
マックス、ですよ。
ここ数年の。



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金スマ。
森進一さんの歌は好き。
特に好きなのは「襟裳岬」と「冬のリヴィエラ」
声も、ね。

なんとなく、中居さんがものまねでやりたくなったのわかった気がするなあ。

紅白の異様なくらいの迫力を見たときもそうでしたけど、ね。


スポット情報

コメント

MAYUKO
2009年1月9日23:56

さらさ様 ごあいさつ遅くなってしまい申し訳ございませんでした。
改めて本年もよろしくお願い致します。


「金スマ」見ました

彼の人生から比べると私の苦労なんて・・・と思いました。
どんなところにも上には上がいる・・・
自分の価値観の範疇の中でしかものを考えらないという人間にはならないよう、日々精進です。

「静かに笑ってしまおう」
そう思える強さを求めて、今年もお互いに頑張りましょう!!
何事も楽しんだもん勝ちです(笑)

さらさ
2009年1月10日13:18

MAYUKOさま
コメントありがとうございます。
お忙しいのにお気遣いいただきまして、すみません。

「金スマ」を見て、やっといろいろ腑に落ちました。
昔から森さんの「おふくろさん」を親とテレビで見ることがあったのですが、特に父が「いろいろあったからなあ、おかあさんのことが忘れられないんだろう」と言っていました。
自殺されていたことも、その前の事情も知らなかったのですが、この歌を歌う時の森さんの思い入れがよく伝わっていたものでした。

言えないことや言わないことは、世の中にはたくさんあるし、それを受け容れる心・・・が必要なのかもしれませんね。

MAYUKOさんのコメントに勇気づけられました。
なかなか、エンジンがかからないですが、またそろそろ頑張らなければ。
ありがとうございました。

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