今日はお墓参りに行って来ました。
父の命日です。
祥月命日は来月なんですが、毎月の命日は出来るだけお墓参りに出かけるようにしていますが、なかなか休日に重ならない。
12月28日のお墓参り、って初めてだった、と思う。
お寺に行くと、年末のお墓掃除に来られている方はたくさんいらっしゃって、空気が冷たいのがかえって、気持ちがよくツキン、とすっきりした心地になった。
「冬はつとめて」、とはこのことだな、と思った。
お寺では住職さんはお忙しいとのことで会えなかったが、奥様にお歳暮をお渡しして母と3人ですこし話して帰って来た。
母と半日出かけて、家の中とちがって外出してみて改めて感じることがいっぱいあった。
母は怪我や股関節の障害のせいで、ここ半年めっきり動かなくなったせいか、思っていた以上に歩行に注意が必要になったし、あぶなっかしい。
お正月に九州に旅行に出かける予定なので、その予定のことをあれこれ頭に思い浮かべてしまって、心配になった。
昨年の年末からお正月、シンガポールに出かけた時に母の脚の具合を思いやれなくて起こったアレコレを思い出してしまったのだ。
絶対、母を急かす事はできないし、先回りして考えて行動しなければいけないな、と。
そのわりには交通の乗り継ぎがタイトになってて帰省ラッシュに巻き込まれそうで不安。(苦笑)
とはいえ、帰りに寄ったデパ地下では母の方がお店の配置や買いもの順序の段取りが身体に染み付いてるらしく(笑)、ちゃっちゃと移動するのでついて歩いていた私が疲れてましたけども。(荷物持ち)
帰ってからは、母の従弟達が来た。
父の命日を覚えていたわけではなかったけれど、お供えを手にして、我が家をワイワイと賑やかしてくれた。
祖父が戦後を待たずして亡くなってから、未亡人だった祖母を支えてくれたのは彼らの父母らだった。
そして、彼らもまた、母を「うちの長女のようなものだもの」といまだに気づかって、遊びに来てくれる。
50代、60代の彼らも考えることがいろいろあるらしく、現在の状況の話から哲学論にまで話が及び・・・・。
私たちの世代のジュニアたちも、いろんな人生を歩んでいる。
みんなそれぞれ、生きている。
そして、父の話にもなり、またしんみり、してしまった。
10年前、父はまだこの家に居た。
そんなことを思い出して、また、「あの時はこうだった」「この時はこうだった」
ということや「こうだったら」「ああだったら」という思いも尽きない。
どうにも仕方のないことや
しょうがないことや
思っても詮無いこともあるのに
ここ数日ずっと頭から離れない、飯島愛さんのことも思った
うちの父のようなことでさえ、こんな思いなのに
彼女の周りのひとたちはどんなに傷ついて哀しんでいることだろう
彼女の本意や思いはそこになかったろうけれど
きっとその痛みはひとびとから去らないことだろう
死ぬくらい苦しかったり辛かったり痛かったことなのに
誰かに助けをよべなかったことは
そんなにも急に訪れたことなのか
あるいは・・・
もしかすると
そんな痛みや苦しみや辛さを
ひとり耐えてきたことが、はじめてではなかったのかもしれない
そんな朝や夜を彼女はなんども耐えてきていたのかもしれない
そうやって、ひとりがんばっていたのかも
ひとの一生は定命、というそうで
それをひとは生まれる前に受け容れて生まれてきて
生まれたときに忘れているだけ
だから、そんなに哀しまないで・・・
と亡くなったひとは思っている、と
そう、師は言うけれど
・・・・そう、と思い切れるばかりじゃないのが、つらいね
この世は。
父の命日です。
祥月命日は来月なんですが、毎月の命日は出来るだけお墓参りに出かけるようにしていますが、なかなか休日に重ならない。
12月28日のお墓参り、って初めてだった、と思う。
お寺に行くと、年末のお墓掃除に来られている方はたくさんいらっしゃって、空気が冷たいのがかえって、気持ちがよくツキン、とすっきりした心地になった。
「冬はつとめて」、とはこのことだな、と思った。
お寺では住職さんはお忙しいとのことで会えなかったが、奥様にお歳暮をお渡しして母と3人ですこし話して帰って来た。
母と半日出かけて、家の中とちがって外出してみて改めて感じることがいっぱいあった。
母は怪我や股関節の障害のせいで、ここ半年めっきり動かなくなったせいか、思っていた以上に歩行に注意が必要になったし、あぶなっかしい。
お正月に九州に旅行に出かける予定なので、その予定のことをあれこれ頭に思い浮かべてしまって、心配になった。
昨年の年末からお正月、シンガポールに出かけた時に母の脚の具合を思いやれなくて起こったアレコレを思い出してしまったのだ。
絶対、母を急かす事はできないし、先回りして考えて行動しなければいけないな、と。
そのわりには交通の乗り継ぎがタイトになってて帰省ラッシュに巻き込まれそうで不安。(苦笑)
とはいえ、帰りに寄ったデパ地下では母の方がお店の配置や買いもの順序の段取りが身体に染み付いてるらしく(笑)、ちゃっちゃと移動するのでついて歩いていた私が疲れてましたけども。(荷物持ち)
帰ってからは、母の従弟達が来た。
父の命日を覚えていたわけではなかったけれど、お供えを手にして、我が家をワイワイと賑やかしてくれた。
祖父が戦後を待たずして亡くなってから、未亡人だった祖母を支えてくれたのは彼らの父母らだった。
そして、彼らもまた、母を「うちの長女のようなものだもの」といまだに気づかって、遊びに来てくれる。
50代、60代の彼らも考えることがいろいろあるらしく、現在の状況の話から哲学論にまで話が及び・・・・。
私たちの世代のジュニアたちも、いろんな人生を歩んでいる。
みんなそれぞれ、生きている。
そして、父の話にもなり、またしんみり、してしまった。
10年前、父はまだこの家に居た。
そんなことを思い出して、また、「あの時はこうだった」「この時はこうだった」
ということや「こうだったら」「ああだったら」という思いも尽きない。
どうにも仕方のないことや
しょうがないことや
思っても詮無いこともあるのに
ここ数日ずっと頭から離れない、飯島愛さんのことも思った
うちの父のようなことでさえ、こんな思いなのに
彼女の周りのひとたちはどんなに傷ついて哀しんでいることだろう
彼女の本意や思いはそこになかったろうけれど
きっとその痛みはひとびとから去らないことだろう
死ぬくらい苦しかったり辛かったり痛かったことなのに
誰かに助けをよべなかったことは
そんなにも急に訪れたことなのか
あるいは・・・
もしかすると
そんな痛みや苦しみや辛さを
ひとり耐えてきたことが、はじめてではなかったのかもしれない
そんな朝や夜を彼女はなんども耐えてきていたのかもしれない
そうやって、ひとりがんばっていたのかも
ひとの一生は定命、というそうで
それをひとは生まれる前に受け容れて生まれてきて
生まれたときに忘れているだけ
だから、そんなに哀しまないで・・・
と亡くなったひとは思っている、と
そう、師は言うけれど
・・・・そう、と思い切れるばかりじゃないのが、つらいね
この世は。
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