ひとをうらめないひとのうらみ
2008年12月10日 映画うらみつらみではあるのだけれど、もっと普遍的な、ねっこの思い。
と、「私は貝になりたい」を観終わってから、ずっと思っていた。
でも、それだけではない、あの刑場の豊松は、そのあとに、どこかちがうところにも、至っていた。
「私は貝になりたい」
「生まれ変わりたい」
と自分ではじめに望んだわけではなく。
問われていたのですね、豊松は。
せめて来世に思いを馳せて・・・、という教誨師の願いはむなしく。
それさえもまた、苦しめる哀しませる。
でも、ひとつの気のいきようにはなったのか。
けれども、彼は、
「帰りたい」
「会いたい」
「房江は、あの子らはどうなるのだろう」
その思いだけしか、なかった。
「どうしても生まれ変わらなければならないなら」
の「どうしても」、というのが重い。
深い深い海の底で、岩についた貝にならなければ、
房江、健一、直子のことを心配しつづけるだろう。
ひととして生まれ変わったら。
房江や健一や直子のことを心配して、探し続けるだろう。
きっと、忘れられやしないだろう。
ああ、そうだ。
忘れることはなくて、おぼえていよう。
ずっとおぼえていたら。
また、いつか。
と、「私は貝になりたい」を観終わってから、ずっと思っていた。
でも、それだけではない、あの刑場の豊松は、そのあとに、どこかちがうところにも、至っていた。
「私は貝になりたい」
「生まれ変わりたい」
と自分ではじめに望んだわけではなく。
問われていたのですね、豊松は。
せめて来世に思いを馳せて・・・、という教誨師の願いはむなしく。
それさえもまた、苦しめる哀しませる。
でも、ひとつの気のいきようにはなったのか。
けれども、彼は、
「帰りたい」
「会いたい」
「房江は、あの子らはどうなるのだろう」
その思いだけしか、なかった。
「どうしても生まれ変わらなければならないなら」
の「どうしても」、というのが重い。
深い深い海の底で、岩についた貝にならなければ、
房江、健一、直子のことを心配しつづけるだろう。
ひととして生まれ変わったら。
房江や健一や直子のことを心配して、探し続けるだろう。
きっと、忘れられやしないだろう。
ああ、そうだ。
忘れることはなくて、おぼえていよう。
ずっとおぼえていたら。
また、いつか。
コメント