うらみつらみではあるのだけれど、もっと普遍的な、ねっこの思い。
と、「私は貝になりたい」を観終わってから、ずっと思っていた。

でも、それだけではない、あの刑場の豊松は、そのあとに、どこかちがうところにも、至っていた。

「私は貝になりたい」
「生まれ変わりたい」
と自分ではじめに望んだわけではなく。

問われていたのですね、豊松は。

せめて来世に思いを馳せて・・・、という教誨師の願いはむなしく。
それさえもまた、苦しめる哀しませる。
でも、ひとつの気のいきようにはなったのか。

けれども、彼は、
「帰りたい」
「会いたい」
「房江は、あの子らはどうなるのだろう」
その思いだけしか、なかった。

「どうしても生まれ変わらなければならないなら」
の「どうしても」、というのが重い。







深い深い海の底で、岩についた貝にならなければ、
房江、健一、直子のことを心配しつづけるだろう。

ひととして生まれ変わったら。
房江や健一や直子のことを心配して、探し続けるだろう。
きっと、忘れられやしないだろう。


ああ、そうだ。
忘れることはなくて、おぼえていよう。
ずっとおぼえていたら。


また、いつか。

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