「いきいき」1月号が届きました。

日野原先生と中居さんの対談です。
日野原先生、試写を見られてその足で中居さんの待つ部屋へ・・・・。
なんと贅沢な方でしょうか。(笑)
見る方が見たら、中居さんのほうが贅沢な方、と言うべきなのかも知れませんが。

数日前に私は「男たちのしわぶき」というタイトルで、「私は貝になりたい」を上映していた映画館で感じたことを書きました。
あの時代を生きた観客─ことに男性たちの、この映画を見ての慨嘆のさまを感じたような気がしたことを書きました。
あの時にその観客たちに聞いてみたかった、ことばや感想をこの対談で読めた、と思いました。

日野原先生と豊松はほぼ同じ年齢、だということだった。
先生は若い頃に結核をわずらったことがあって丙種合格─いわば予備役のような存在であり、兵に採られていなかった。
この丙種合格というのは、豊松が足が悪かったせいでまだ徴兵されていなかった、という設定でもそういうことになっていたわけだけども。
私の親戚のなかでも視力や目の先天性な軽いハンディキャップのあるひとは同じことがあった、と聞いていたことがあった。
豊松のように、誰の目から見てもそうであればまだわかりやすいところはあるのだけれど、日野原先生や私の親戚のように一見して、そうとわからないひとたちというのは、ある意味、とても肩身が狭い場面もあった、とも聞いていた。
ただし、先生は軍医として募集に応募し(4週間訓練を受けたら少尉になれるとのこと)訓練を受けたとのことだった。
その時の体験が、豊松の訓練と重なって、誇張がない実感のあるシーンとして、一気にその当時のことが自分の中でよみがえった、とのことだった。
私の親戚は、いよいよ自分も行かねばならない、と思っていた頃に、親が心配してなけなしの蓄えで幾つも幾つも眼鏡を拵えて備えていたとのことだった。
私の父が虚弱で小さくて3歳近くまでひとりで走るのもままならぬ、発育不良な小さな赤ちゃんだった時代、のことだ。


日野原先生は、いつも対談では遠慮なく率直な質問や意見を言われていて興味深いのだけれども、
「高知は南の土地なのに、あんなに雪が深いところがあるの?」
とのご質問。
これには、監督が
「実は、四国山脈の梼原では1メートルくらい積もるんです」
とのこと。
あと、ちょっと気になったところとして、ふたつ。
「裁判は冷静に進行するものです。でも、あなたや日本側のひとたちはいいのですが、アメリカ側の判事が感情的で、演出が行き過ぎていたんじゃないかなあ。」
「もうひとつは、中居さんが「よさこい」を歌うシーンです。」
でも、それが音が外れていたというかそういうのよりも
「もうちょっと、元気な方がいいと思った」

いやあ、ほんまに気になるところズバリ、ですね。(笑)
さすが、日野原先生なのでした。

中居さんの返答として「よさこい」はもっとアグレッシブに歌っていたけれども、監督に「音程を重視しろ」とダメだしを受けていた、とのこと。
音程の話から、なんともファンには寂しい中居さんの言葉はありましたが・・・、日野原先生は、きちんとよく見てくださっています。

「よさこい」はあの頃のひとたちの愛唱歌、だったのですね。
必然性があったんですね。
そういう実感も、あったんですね。

それから、中居さんと話すとソフトな感じを受けるんだけど、映画はとても熱演で、芯が強かったね。とも。

「非常に目が輝いていて、鋭かった。あなたの迫力が伝わってきました。今まで私が観た戦争映画のなかでいちばんよかったよ。」
「あなたは目が素晴らしい。芯の強い輝きを放っていて、目が離せませんでした」

世界中のひとに見せたい、とも言ってくださいました。

最後の結びもよかったです。

「あなたは自信をもっていいんです。さあ、私もあなたも、また新しい仕事に向かわなければ。」


「いきいき」2009年1月号 ユーリーグ株式会社発行
(6ページ~12ページより引用、中略あり)
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