アラフォーというのは私たち?
※「フランソア」喫茶室
昭和9年開店。
父と映画へ行った帰りに、何回か来た事があったっけ。
これはフルーツケーキ(カリビアン)
携帯電話で撮影、店内いい具合に暗かったため(笑)、画像不鮮明。



今日は友人の誕生日。
お鍋でも食べましょう、ということになって4人集まる予定だったけど、ひとりの都合が悪くなり3人になった。
お鍋をしながら、会社の話や趣味の話やテレビや映画の話。

高校時代からの友人。
一番よく会っている友人。
そういえば、私は昔から友人が少ない。
今に始まった話じゃないが。


その後は「別バラ」と言いながら、「フランソア」でケーキセットなんぞ食べてしまったので、今は満腹・・・・。
しんどい。(苦笑)


帰りに乗った電車には、結婚式帰りの男女が数組乗っていた。
ずいぶん、多い。
彼らは、見た感じ、みんな20代半ば~後半くらいかな。
近頃はドレスのまんまでも平気で電車に乗るのなー。
そういえば私もこのあたりの年代まではまだ、友人の紹介で男の人に会ったり、意識している相手もいたりして、休日に待ち合わせくらいはしていたっけ。
そして今日はおめでたい日取りなのかしらん、と思いながら、自分たちの年齢を口にして、驚いた。
あと3年で、40歳だ。

こりゃあ、びっくり。

私たちは「なんとなく」独身できてしまった。
ある意味、周りからのプレッシャーは少ない。
結婚にしてもキャリアにしても、なんとなく「ゆるい」。
30過ぎまでは親や周囲も自分たちもなんとなく、ただの「行き遅れ」気分で、別に先のことを考えていたわけではない。
別に積極的に異性との付き合いを考えていなかっただけなんだが、そうなるとますます、「行き遅れ」になるわけで、必然的に「行かず後家」といわれる状態に突入するわけだ。

「今はとりあえず」、仕事はあるし楽しみはあるし趣味はあるし。
そこそこ身体や心にハンディもないことはないけれども、なんとかバランスとっていけているので、それなりに自分なりに生きている。
でも、まずいことは、完全に生計として独立できていないこと。
「衣食住」の「住」が弱いのね、なんといっても。
ほんとに典型的な居候─パラサイト・シングル。
正社員であっても非正社員であっても、私たちの収入では、地方で生きていても、今の生活スタイルのままでひとり暮らしなんかできない。
この収入で、ただひとりで生きていくには、とてもじゃないが心許ない。
まあ、今の生活スタイルというのはかなり自分勝手わがままであって、「まだ」余裕があるわけだから、本当はカツカツ自活していけるのかもしれないが。

でも、いつまでも親は健在ではない。
・・・まったくもって、今の生き方は時限的な感じがしてきた。

友達には悪いけど、彼女の誕生日にそーんな、話になったりなんかして。(笑)

で、今からの数十年、って今までノホホン、としてきたぶん、苦労するかもねえ。
なんて話になって。
支えられる側から支える側になることも考えて。
ちょっとは、自分を後回しにする生き方と生計を立てる生き方を両立して。

で。
それでも、それぞれ独りだったら、ひとり暮らしできる間は近所に住んで助け合って、老後はグループホームかなあ、なんて話してる。(笑)

でもね、今はこんな風に生きているからそれぞれが好き勝手しているけれど、今からがどれだけ私たちの境遇は変わっていくんだろう、とも思う。


母は現在、学生時代や職場時代の友人と会って遊びに出かけ、ご近所の友人たちと助け合っている。
父の若い頃や私たちを子育てしていた時代は、そちらを中心に生活していた。
その間没交渉に近かった友人たちとは、50代ごろから付き合いを復活させている。
それが、先に挙げた母の友人たち。
もちろん、親戚や私たち娘もいるから、もっと周りにもひとがいるわけで、まだまだ人づきあいは健在だ。
それでも、母は先のことを考えていろいろと言い出しては、私を不安にさせる。
きっと、母にしてみると私ひとりに重荷を負わせたくないのだろうが・・・。
それでも変な話、私は今までなにも荷を背負ったことがないのだから、はじめからそこから逃れる気持ちもないのだけど、苦労知らずなのも確かで、なにがどう、という覚悟がまだ出来ているわけではない。
考えすぎても仕方ない、と思うだけで、でも頭の片隅でいつも考えている感じ。
でも、そんな母のことは自分の将来とも重ねて考えてしまうことも多い。

母の歳のころ、私は今日、友人と話し合ったような生活が送れるだろうか。
そもそも、ちゃんと友人と付き合っていける人生が歩んでいけるのだろうか。


そんなことを考え、心許ない不安な気持ちもあったりする。

少子化だとか、格差社会の話になると、私たちの年代や私自身が責められている気分にもなる。
きっと、そのうち私たちの世代がなんとかしないとだめになるはず、なんだけど。
その一方で、この頃の不甲斐ない事故や目を覆いたくなる現実や事件もまた、私たちの世代が引き起こしているのかと思うと、情けなくもなる。

さて、私はどう生きていくべきか。

とりあえずは、フランソアのコーヒーをまたひとりで飲みに行けるといいな、と考えるくらい。



↓住所がどうにも通り名で出なかったので。(笑)
ほんとは西木屋町通り四条下ル(高瀬川べり)
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