「おおきに、ありがとう・・・」
2008年10月19日 読書
「篤姫」。
今週の「息子の死」には泣いてしまった。
「ものたりない」とまで思っていた松田家茂さん(失礼)でしたが、今日の死にゆく様、勝の腕の中の「悔しいのう」と「江戸へ、もう一度江戸へ戻りたかったのう」という言葉に、ほろり、ときてしまった。
大奥の女性たちに慕われ愛されていたにしても、頼りになる幕臣はいない。
身を挺して覆いかぶさってもくれる老中も大老も、もはやいない。
勝に向かって「そちはやはり、法螺吹きだのう」と言った言葉が、精一杯の彼の意趣返しでもあったのかなあ・・・。
確かに実際の家茂将軍が心労や過労で亡くなったといえば、疑うところはないものだけれど、この後の孝明帝の死、といい・・・
のちにこのひとたちの死を巡って陰謀説・暗殺説が出たのも仕方ないくらいの、変転だ。
ところで、先週の観行院さん。
タイトルのこの「おおきに、ありがとう・・・」に込められた京女魂がいやあ、素晴らしかったです。
登場人物たちの「かくあってほしい」と願ってしまう姿を描く、優しいこのドラマ。
彼女をああやって安らかに眠らせてあげたのも、非常に優しいと思った。
以前に「和宮様御留」という小説を読んだことがあった。
この小説の観行院さんも、「あり、がとう。御きげん、よう」と言い残して亡くなる。
この「和宮様御留」は、和宮の替え玉説(大奥に入った和宮は替え玉であって、本物ではない、というもの。その根拠としては幼い頃から足が悪かったと伝わっていたのに、そうではなかったこと。のちに発掘された彼女の遺骨のなかに左手首より先が残っていなかったといわれること)にそって書かれているもので、題材だけを聞くと「とんでも」と思うけれど、有吉佐和子の手にかかると異様な迫力とリアリティをもってして、ぐいぐい引っ張り込まれる。
和宮の替え玉となる少女フキの描写とその周囲で繰り広げられる人間模様にこちらも翻弄されて、フキへの同情と同化をしてしまったものだが、改めて今読み返してみると、観行院のことが気になって仕方なくなった。
この和宮の替え玉を思いつき実行するのは、観行院ひとりでありそれに従った忠実な乳母や女中たち・・・。
身内も外も当然ながらすべてを欺くその様が、なんとも過酷。
フキの側からみると、非情でもあり酷いひとでもあるのだけれど、和宮が東行を拒むのは将軍家への降嫁を好まない、というところではなく「足が悪い」ということであること、その彼女の強烈なトラウマのエピソードと観行院の頑強な思い。
それもまた、独特の寒々と怖いくらいの筆致で迫ってきて有無を言わせないところがある。
フキを替え玉にしつらえる様子や東行の様子をこれでもか、これでもか、としつこいくらいに書いてあり・・・そして、フキが毀れてしまうところがひとつの終わり、なんだけれども。
この小説のすごいところだな、と思ったのはその続きまでも書いてあって、和宮死去までに及んでいること。
この後の観行院と、もうひとりの和宮の替え玉の少女の大奥での様子がスラスラさらり、と書いてあるだけにものすごく気になるし(笑)、想像力を掻き立てられる。
フキももうひとりの替え玉のことも、母観行院にとっては、本当の宮さんのためであれば、なんということはない。
実兄を騙し、主上を欺き、幕府・将軍や大奥がわかっていて利用していたにしても、なんということはない。
ただただ、宮さん、のため。
だから、その宮さんの死を知った時に、「もう生きていとうないのえ」と命絶えてもしょうがなく、ただ宮さんの遺髪を「和宮」として葬ることだけを望んで息絶える。
大奥では本当の宮さんではないだけに、観行院はひとり寂しく寝つき、庭田にも邪険にされながら病状を重くして亡くなってしまう。
この観行院もまた、なんともいえず胸に迫る。
前に読んだ時にはただただ、妖女のような高貴な女性、といった感じに思った彼女が、またちがって思えてきた。
「篤姫」の彼女は、この小説とはまったくちがうようなのに・・・。
なんだか、背中合わせのように思えてならない、のだ。
どちらも、とっても京女ぽいな、と私は思う。
宮尾先生の「天璋院篤姫」とあわせて読むと、まったくちがって面白い。
それにしても、大河ドラマ「篤姫」は男がどんどん説得力をなくしていくなー。(苦笑)
大久保&西郷が、ハマりすぎてて憎らしいのはすごいけど・・・。
今週の「息子の死」には泣いてしまった。
「ものたりない」とまで思っていた松田家茂さん(失礼)でしたが、今日の死にゆく様、勝の腕の中の「悔しいのう」と「江戸へ、もう一度江戸へ戻りたかったのう」という言葉に、ほろり、ときてしまった。
大奥の女性たちに慕われ愛されていたにしても、頼りになる幕臣はいない。
身を挺して覆いかぶさってもくれる老中も大老も、もはやいない。
勝に向かって「そちはやはり、法螺吹きだのう」と言った言葉が、精一杯の彼の意趣返しでもあったのかなあ・・・。
確かに実際の家茂将軍が心労や過労で亡くなったといえば、疑うところはないものだけれど、この後の孝明帝の死、といい・・・
のちにこのひとたちの死を巡って陰謀説・暗殺説が出たのも仕方ないくらいの、変転だ。
ところで、先週の観行院さん。
タイトルのこの「おおきに、ありがとう・・・」に込められた京女魂がいやあ、素晴らしかったです。
登場人物たちの「かくあってほしい」と願ってしまう姿を描く、優しいこのドラマ。
彼女をああやって安らかに眠らせてあげたのも、非常に優しいと思った。
以前に「和宮様御留」という小説を読んだことがあった。
この小説の観行院さんも、「あり、がとう。御きげん、よう」と言い残して亡くなる。
この「和宮様御留」は、和宮の替え玉説(大奥に入った和宮は替え玉であって、本物ではない、というもの。その根拠としては幼い頃から足が悪かったと伝わっていたのに、そうではなかったこと。のちに発掘された彼女の遺骨のなかに左手首より先が残っていなかったといわれること)にそって書かれているもので、題材だけを聞くと「とんでも」と思うけれど、有吉佐和子の手にかかると異様な迫力とリアリティをもってして、ぐいぐい引っ張り込まれる。
和宮の替え玉となる少女フキの描写とその周囲で繰り広げられる人間模様にこちらも翻弄されて、フキへの同情と同化をしてしまったものだが、改めて今読み返してみると、観行院のことが気になって仕方なくなった。
この和宮の替え玉を思いつき実行するのは、観行院ひとりでありそれに従った忠実な乳母や女中たち・・・。
身内も外も当然ながらすべてを欺くその様が、なんとも過酷。
フキの側からみると、非情でもあり酷いひとでもあるのだけれど、和宮が東行を拒むのは将軍家への降嫁を好まない、というところではなく「足が悪い」ということであること、その彼女の強烈なトラウマのエピソードと観行院の頑強な思い。
それもまた、独特の寒々と怖いくらいの筆致で迫ってきて有無を言わせないところがある。
フキを替え玉にしつらえる様子や東行の様子をこれでもか、これでもか、としつこいくらいに書いてあり・・・そして、フキが毀れてしまうところがひとつの終わり、なんだけれども。
この小説のすごいところだな、と思ったのはその続きまでも書いてあって、和宮死去までに及んでいること。
この後の観行院と、もうひとりの和宮の替え玉の少女の大奥での様子がスラスラさらり、と書いてあるだけにものすごく気になるし(笑)、想像力を掻き立てられる。
フキももうひとりの替え玉のことも、母観行院にとっては、本当の宮さんのためであれば、なんということはない。
実兄を騙し、主上を欺き、幕府・将軍や大奥がわかっていて利用していたにしても、なんということはない。
ただただ、宮さん、のため。
だから、その宮さんの死を知った時に、「もう生きていとうないのえ」と命絶えてもしょうがなく、ただ宮さんの遺髪を「和宮」として葬ることだけを望んで息絶える。
大奥では本当の宮さんではないだけに、観行院はひとり寂しく寝つき、庭田にも邪険にされながら病状を重くして亡くなってしまう。
この観行院もまた、なんともいえず胸に迫る。
前に読んだ時にはただただ、妖女のような高貴な女性、といった感じに思った彼女が、またちがって思えてきた。
「篤姫」の彼女は、この小説とはまったくちがうようなのに・・・。
なんだか、背中合わせのように思えてならない、のだ。
どちらも、とっても京女ぽいな、と私は思う。
宮尾先生の「天璋院篤姫」とあわせて読むと、まったくちがって面白い。
それにしても、大河ドラマ「篤姫」は男がどんどん説得力をなくしていくなー。(苦笑)
大久保&西郷が、ハマりすぎてて憎らしいのはすごいけど・・・。
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