独りで生きて独りで死ぬ
2007年12月17日 つれづれ。いきものは所詮、そういうもんなのかもしれませんが。
「おひとりさまの老後」という本を立ち読みしたりだとか、孤独死の部屋の片付け請負人の話とか、そういうのを見ていてこのごろ、漠然と考えてます。
(NHK『“天国への引っ越し”手伝います〜東京大田遺品整理会社」ドキュメントにっぽんの現場 』という番組では「天国への引越し手伝い」と言われていました。そうした気負いと誇りをもってお仕事されているとか。それも、依頼人であるご遺族のなかの小さなお子さんが請負人さんに言って下さったというエピソードを話されてました。)
どこまで生きるかわかりませんが、ぼちぼちそういうことも考えたりします。
できれば親のあとに死にたいもので、それだけがひとつの願いといえば(今のところの)願いだったりしています。
あとはまあ、できるだけやっぱり面白楽しくおおらかに痛くなく生きられれば(というのは、究極のよくばり)なー、という感じですけども。
そういう話を友達ともしていたりしますが、だからといって「こうこうしたい」「ああするこうする」という未来図があまり描けない、なさけない自分でもあります。
なにかと自分を卑下するつもりもないのですが、世の中からどう見られるか、というのも少しは気にしている時もあります。
気にしなきゃだめかな、という時もあります。
パートナーというものがある方が、苦しみも悲しみもありながらもいいものかもしれませんし、それがないゆえに「世間知らず」「苦労知らず」「逃げてる」といわれてもある程度は受け容れなければなあ、とも思っています。
結構、世間の目は独身女に冷たい時もあるのですよ。
それに抗っても仕方ないところもありますし、当たってるしね。
土曜日に見た「ひとがた流し」を見ていて、病気をした時の自分、というのを思い浮かべてみた。
母がいなくとも姉がいれば、多少なりとも面倒をみてくれるかもしれませんが、なにがきっかけでその関係にヒビが入ってるかもわからないし、そんな時にひとを恨みたくないもんだし。
怒ったり八つ当たりはしても、やっぱりできれば、ひとは呪いたくないものだし。
さて、これからの自分はどうなるんかな、と思っている。
仕事中に考えることでもないんだけど、ふとそんなことを考えている師走なのでした。
しかし、LOHAS。
有言不実行になりそうだ、やばい。
今日こそは!(ほんとか)
「おひとりさまの老後」という本を立ち読みしたりだとか、孤独死の部屋の片付け請負人の話とか、そういうのを見ていてこのごろ、漠然と考えてます。
(NHK『“天国への引っ越し”手伝います〜東京大田遺品整理会社」ドキュメントにっぽんの現場 』という番組では「天国への引越し手伝い」と言われていました。そうした気負いと誇りをもってお仕事されているとか。それも、依頼人であるご遺族のなかの小さなお子さんが請負人さんに言って下さったというエピソードを話されてました。)
どこまで生きるかわかりませんが、ぼちぼちそういうことも考えたりします。
できれば親のあとに死にたいもので、それだけがひとつの願いといえば(今のところの)願いだったりしています。
あとはまあ、できるだけやっぱり面白楽しくおおらかに痛くなく生きられれば(というのは、究極のよくばり)なー、という感じですけども。
そういう話を友達ともしていたりしますが、だからといって「こうこうしたい」「ああするこうする」という未来図があまり描けない、なさけない自分でもあります。
なにかと自分を卑下するつもりもないのですが、世の中からどう見られるか、というのも少しは気にしている時もあります。
気にしなきゃだめかな、という時もあります。
パートナーというものがある方が、苦しみも悲しみもありながらもいいものかもしれませんし、それがないゆえに「世間知らず」「苦労知らず」「逃げてる」といわれてもある程度は受け容れなければなあ、とも思っています。
結構、世間の目は独身女に冷たい時もあるのですよ。
それに抗っても仕方ないところもありますし、当たってるしね。
土曜日に見た「ひとがた流し」を見ていて、病気をした時の自分、というのを思い浮かべてみた。
母がいなくとも姉がいれば、多少なりとも面倒をみてくれるかもしれませんが、なにがきっかけでその関係にヒビが入ってるかもわからないし、そんな時にひとを恨みたくないもんだし。
怒ったり八つ当たりはしても、やっぱりできれば、ひとは呪いたくないものだし。
さて、これからの自分はどうなるんかな、と思っている。
仕事中に考えることでもないんだけど、ふとそんなことを考えている師走なのでした。
しかし、LOHAS。
有言不実行になりそうだ、やばい。
今日こそは!(ほんとか)
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