アラン・ドロンさんが、コメディアンとアクターについて語っていた。
目からウロコだな。
これって、実は常識だったりするのだろうか。

でも、日本で使うニュアンスは逆じゃない?
不思議。

そして、聞いていて「中居正広はアクターだ!」と思った。
アランさん、一緒に生活するのも大変だけど、ファンとして追っかけるのも大変なんだよ、アクターって。
アクターであって、しかもアイドルなんだよ、コメディアン(コントとかもやる、バラエティ司会もやる日本流だけど)なんだよ。
このひとは、そんなひとなんだよーーーー、と思って泣く。

一昨日の日記で、嘘ついてた。
あっちゃんすけさんのコメントのお返事を読んでいても、思った。
自分勝手な嘘ついてます、私。

中居さんに対するスタンス、変わったと思う。
すごい、予防線を張ってる。
だから前以上に、ちょっと距離を置いているんだ、中居さんのことも、スマのことも。
だから、自分で読んでても「イイカゲンだ、適当だ」と書いて誤魔化してるような気がして、ね。
うん。
きっと、読んでいる方にとっては、どちらでもよくわからないかもしれないんだけど、自分ではかなり葛藤しているんだな、と昨夜から、また思った。

・・・ああ、こんなグダグダさ加減、読むのがいやになるよね。(苦笑)

ちょっと、素直になりたいなあ、と思った。
大好きだった宝塚の舞台、そのフィナーレを見るたびに鳥肌立つ思いで、ドキドキして見てたことを思い出した。
それと、スマのライブ。
このふたつが重なって、とても幸せで泣けてきた。
だからね、素直になりますよ、これからは。

宝塚のスタアにも、居た。
見ていて守ってあげたくて、目が引かれて仕方なかったひと。
実は宝塚のスタアだって、歌もダンスも、コンプレックスや個性が目立ってしまうひともいたり、お芝居が不器用なひともいる。
そんな彼女たちが好きで、よく足を運んだ。
そういう彼女たちだからこそ、あのフィナーレに感動したんだな、と思う。
勿論、見ていて夢の世界だからだ、というのはあるんだけどね。

私は、誰よりも人目を引きながらも、大勢の中でスッと横顔と背中を綺麗に見せつけて一歩下がるようなひとが好きなんだ、と思う。中央で華やかでいる光を持ちながら、影を感じるひと、哀しい愛しいひと。
そして、そんなひとたちはアクター。

中居さんはアクターでありながら、いろんなものを抱えているから。
きっと、アクターでいられる時間が少ないんだ。

「冒険者たち」を見ていたという、中居さん。
映画好きそうだよねえ、やっぱり、実は。(笑)
私は見たいと思いつつ見たことないんだけど、日本映画で影響を受けたとされる「黄金のパートナー」。
これは見たことあると思うんだけど、結構面白かったですよ、たぶん。
藤竜也さんと三浦友和さんと紺野美紗子さん。

そして、アラン・ドロン、周期的に衛星で映画特集やってるわりにはあまり見てない・・・・。
太陽がいっぱい、は見ていますが、あとは「黒いチューリップ」とか、「世にも怪奇な物語」(笑←ナゼ笑う)。

「黒いチューリップ」といえば、ベルばら、ラ・セーヌの星。
ちっさいころにはまったなあ、フランス革命。

今日の宝塚コラボの「愛あればこそ」はベルばらテーマ。
私はこの歌はやっぱり、宝塚オリジナルテーマ曲群のなかでは、名曲中の名曲だと思う。
歌詞もさることながら、美しいメロディラインと覚えやすいサビ。切なく哀しく美しく、カタルシスもある。

・・・・しかし、今日は感傷的にすぎる?
でもって、支離滅裂ぶりは相変わらずです、どうかあしからず。
自意識過剰な日記ばかりで、すまんです。

さて、浮上するからね、来週は!

おやすみなさい。

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