宝石のようなひとしか、役者になれない。
2006年6月25日 演劇 コメント (2)宝石のように選ばれたひとにしか、役者になれない。
なぜなら、宝石のように透き通って素直にならなければ、神様のようにあらゆるひとになれないから。
宝石のように心が綺麗でなければ、ちがう人生に融けられないから。
けれど、それは選ばれたひと、という意味と。
誰もがきっと持っているにちがいない「心」という宝石を見出し、磨き、
自分も他人もいとおしめるひと、それこそが宝石のようなひと、という意味なのだろう。
これは、今日見てきたお芝居での、台詞。
見ていて聞いていて、全然関係ないのに、中居さんや和賀さんを思った。
「『ああ、私は今生きている!』こう思える瞬間があるんですね。ひとりでは出来ないことを私はしている、なにか無限を超えた大きな、大きな力や世界を私は生きている」
お芝居、というものを通じて、感じる世界。
舞台、という場を得てのぼりつめる世界。
ああ、なにかを作り出せるひとは、表現できる人は、光を浴びているひとは、そんなことを感じるから、大きな舞台に立てるんだな。
お芝居にしても、歌にしても、きっとそうなんだろう。
今日は、芝居というものを通して「生きる」だとか、国家と個人だとか、戦争だとか、言葉だとか。
いろんなことを考えさせられた。
今日、見たお芝居は、こまつ座の「紙屋町さくらホテル」井上ひさし作。
母の従妹のピンチヒッターで、母も入っている観劇サークルの例会でのお芝居。
物語。
戦中の実在の移動演劇隊・桜隊と、天皇の密使・長谷川清のエピソードを下敷きに、昭和二十年五月の広島・紙屋町さくらホテルを舞台に、慰問公演「無法松の一生」を演じることになる、さまざまな境遇のひとびとの群像。
戦前・戦中の近代演劇の歴史や人物のことも、生き生きと語られ、演劇論が語られるのは面白かったし、桜隊の中心的人物・スター女優園井恵子は、元タカラヅカスターであり、「すみれの花咲く頃」の歌が愛唱される。
そして、それぞれの事情で身分や名前を偽ったり監視する特高刑事や軍人たちの芝居に「毒され」ていく様と、国家といのちの輝きの中に揺れていく信念と思い。
ふたつの祖国に引き裂かれ、生きるすべを失いながらも、夢を追い求める女性。
「砂の器」の熱き管理官を演じられた辻萬長さん、が重厚な海軍大将にして陛下の密使を演じられていた。
9人だけで場面転換もないままに、3時間半。
実に面白くて、切なくて、笑って泣けた。
お芝居って、いいなあ。
「アガッてる暇なんかない。初めてお芝居を見に来るひとがこの舞台を見ているかもしれない。新しい世界を、そのひとに見せることが出来るのに、どうして芝居が出来ない、なんてことがあるものか」
という言葉は、小山内薫の言だそうな。
フィクションであろうとも芝居の中であろうとも、あの60余年前のひとびとの気持ちが、あの役者さんたちに井上ひさしさんの脚本のなかに生きて、今日のあの時間に、世界を見せてくれたように思う。
また、夏がやって来る。
繰り返し、繰り返し、思う。
あの昭和二十年の五月に、事態が変わっていたら。
ひとびとの思いが、うまく動いていたら。
少なくとも、それ以降のあの苦しみが傷が、浅くいられたかもしれないのに。
あまたの、いのちの輝きが喪われないですんだかもしれないのに。
そんな風に思う。
それまでにも、ひとは血を流しすぎて涙を流しすぎたけれど。
でも、と思ってしまう。
そして、現在。
自由であるはずなのに、私たちはどうして、今もこんなに不自由なんだろう。
明日をも知れない命、命を奪うことも奪われることも心配しないでいいはずなのに、どうしてこんなに命は簡単に殺されていくのだろう。
なぜなら、宝石のように透き通って素直にならなければ、神様のようにあらゆるひとになれないから。
宝石のように心が綺麗でなければ、ちがう人生に融けられないから。
けれど、それは選ばれたひと、という意味と。
誰もがきっと持っているにちがいない「心」という宝石を見出し、磨き、
自分も他人もいとおしめるひと、それこそが宝石のようなひと、という意味なのだろう。
これは、今日見てきたお芝居での、台詞。
見ていて聞いていて、全然関係ないのに、中居さんや和賀さんを思った。
「『ああ、私は今生きている!』こう思える瞬間があるんですね。ひとりでは出来ないことを私はしている、なにか無限を超えた大きな、大きな力や世界を私は生きている」
お芝居、というものを通じて、感じる世界。
舞台、という場を得てのぼりつめる世界。
ああ、なにかを作り出せるひとは、表現できる人は、光を浴びているひとは、そんなことを感じるから、大きな舞台に立てるんだな。
お芝居にしても、歌にしても、きっとそうなんだろう。
今日は、芝居というものを通して「生きる」だとか、国家と個人だとか、戦争だとか、言葉だとか。
いろんなことを考えさせられた。
今日、見たお芝居は、こまつ座の「紙屋町さくらホテル」井上ひさし作。
母の従妹のピンチヒッターで、母も入っている観劇サークルの例会でのお芝居。
物語。
戦中の実在の移動演劇隊・桜隊と、天皇の密使・長谷川清のエピソードを下敷きに、昭和二十年五月の広島・紙屋町さくらホテルを舞台に、慰問公演「無法松の一生」を演じることになる、さまざまな境遇のひとびとの群像。
戦前・戦中の近代演劇の歴史や人物のことも、生き生きと語られ、演劇論が語られるのは面白かったし、桜隊の中心的人物・スター女優園井恵子は、元タカラヅカスターであり、「すみれの花咲く頃」の歌が愛唱される。
そして、それぞれの事情で身分や名前を偽ったり監視する特高刑事や軍人たちの芝居に「毒され」ていく様と、国家といのちの輝きの中に揺れていく信念と思い。
ふたつの祖国に引き裂かれ、生きるすべを失いながらも、夢を追い求める女性。
「砂の器」の熱き管理官を演じられた辻萬長さん、が重厚な海軍大将にして陛下の密使を演じられていた。
9人だけで場面転換もないままに、3時間半。
実に面白くて、切なくて、笑って泣けた。
お芝居って、いいなあ。
「アガッてる暇なんかない。初めてお芝居を見に来るひとがこの舞台を見ているかもしれない。新しい世界を、そのひとに見せることが出来るのに、どうして芝居が出来ない、なんてことがあるものか」
という言葉は、小山内薫の言だそうな。
フィクションであろうとも芝居の中であろうとも、あの60余年前のひとびとの気持ちが、あの役者さんたちに井上ひさしさんの脚本のなかに生きて、今日のあの時間に、世界を見せてくれたように思う。
また、夏がやって来る。
繰り返し、繰り返し、思う。
あの昭和二十年の五月に、事態が変わっていたら。
ひとびとの思いが、うまく動いていたら。
少なくとも、それ以降のあの苦しみが傷が、浅くいられたかもしれないのに。
あまたの、いのちの輝きが喪われないですんだかもしれないのに。
そんな風に思う。
それまでにも、ひとは血を流しすぎて涙を流しすぎたけれど。
でも、と思ってしまう。
そして、現在。
自由であるはずなのに、私たちはどうして、今もこんなに不自由なんだろう。
明日をも知れない命、命を奪うことも奪われることも心配しないでいいはずなのに、どうしてこんなに命は簡単に殺されていくのだろう。
コメント
日本語の魔術師、井上ひさしが繰り出す言葉の力は
すばらしいです。
私、大好きなんです。
ぜひ、戯曲も読んでみてください。
とっても面白いですよ。
調子はいかがですか?お祭りが始まったら、パーッと元気になれますよね、きっと。
公平さんは、とにかく木村さんのキャラの中でもダントツの思いいれ一番のひとになりました。「白い影」を見ている時、「HERO」にも夢中になっていたのですよ。
懐かしいな、あれからもう5年も経つのですね。
井上芝居、面白かったです!
あれだけの題材を盛り込んでいながら、深みも面白みもある。テンポがよい。これ、演出家さんの味でもあるようですが、実にのびのびしていて、重い話なのに爽やかでもあるのです。
「父と暮らせば」を見てみたいなあ。舞台でもよかったみたいですが、映画。
りえさんと芳雄さん。
MAYUKOさんのオススメの戯曲も、読んでみたいです。
芝居論も実に興味深くて、知りたいことがいっぱい出来たのが嬉しかったです。