頭がナルトな夜。(風薫る5月と「赤毛のアン」、エニアと、そして。)
2006年4月30日 読書 コメント (9)そう、あのヒロミの台詞は、「模倣犯」を見た5月の日から(試写会に行ったんです。はじめて見た衝撃のピース吹っ飛びシーン。あの時のダイヤモンドよりも固い静寂。あんなに怖いものはない・笑)私の常套句。
ほとんどスルーされます、中居ファン以外。うふふん。
いやあ、やっと、やっと、なんか暖かい!って感じ!
私、どっちかっていうと3、4月よりも、5月の方が好きやわ。
そして、6月よりも爽やかで。
まさに風薫る5月、緑猛き5月。
そう、なんか猛ってるのよ、緑が。
4月より、5月の方が生きものは勢いづいてる気がするんだわ。
などと外を眺めつつ、お休みなのにお勉強に励んでおりました。
そのため、もう頭がナルト。
理解力がないのではなく、忍耐力がない。
注意力散漫。
うーむ、どうしたものか、学習するという能力がやはり衰えてきているとしか思えない。
判断力、決断力と反比例するのか、これは。
とかいいつつ。
少しは勉強に励んでる(ように見える)自分にちょっと自己満足を覚えている自分って、やはり自己愛がキツイタイプなんかな〜?なんて、エニアのことをまだ考える。
あぶないな、自分の性格をタイプに合わせてしまいそう。
エニアグラムとかの分析。
あの謎めく佳人(言うが勝ち、ですぜ)中居さん。
そして、和賀ちゃんとか直江先生とか、どうなんだろう。
ああいう人たちって(たち、って・・・笑)、見せたい自分と本当の自分との乖離が大きい気がするなあ。
それは苦しかろうけれど、乖離をただすのはそれ以上に苦しい。
そんな、気がする。
でも、たださなくてもいいのかもしれないな、とも思う。
その人たちの幸せは、内面の乖離のバランスにあるのだから。
自分を苦しめるものを認めて受け容れられれば、きっと、そのバランスは、えもいわれぬ美しさを産むのだ。
まさに、どんなに否定しようとも、揺るがない美しさ。
赤毛のアンでは、こんな言葉が出てくる。
しかし、自分に置き換えて考えてみる。
以前と比べると心理テスト、分析みたいなものの結果では、私はどんどんイイカゲンで、お気楽になっていっている。
根本は変わらないけど、人との関係性だとか理想観は変わっていくものだとは思う。
感情面や価値観は、そう簡単に変わらないかもしれないけれども。
昔の私は、ものすごーく、自省的なのね。
ほら、信じられないでしょー?(笑)
ひとに対して書いてる文章なんかは、今とあまり変わらないんだけど、あの頃の自分の口癖は「なんか、いいことないかなー」「嫌いだー、自分」とかばっかり、だもの。
私にとって、仕事をするだとか好きなひとやものを誰かと共有するだとか、が本当に充実感に繋がっているのだと思う。
学生時代の頃の私は、わりと悲観的で自省的、そして真面目だった。
そういう、年頃でもあったんだろうけれども。
そうして、今日もまた、支離滅裂なもの思いで夜は更けるのでした。(笑)
明日は、またお仕事だ。
明日、明後日、と。
ゴールデンウィークは、したいこととやらなきゃいけないことと、遊びに来るひとの予定で、それなりに埋まりつつある。
あっという間、だね。ほんと。
どうしましょう〜。
こう書けるのは、とてもいいこと。
きっと、とても。
「赤毛のアン」をまた、読みたくなった。
家にあるのは、村岡さんの訳のものだけで、それを出してこようと思ったのに、すぐには出せなかったので・・・・。
講談社の掛川さん訳のものを引用しました。
それも、あちこちで調べて。(苦笑)
なぜか、5月は赤毛のアンを読みたくなる、そんな私です。
ほとんどスルーされます、中居ファン以外。うふふん。
いやあ、やっと、やっと、なんか暖かい!って感じ!
私、どっちかっていうと3、4月よりも、5月の方が好きやわ。
そして、6月よりも爽やかで。
まさに風薫る5月、緑猛き5月。
そう、なんか猛ってるのよ、緑が。
4月より、5月の方が生きものは勢いづいてる気がするんだわ。
などと外を眺めつつ、お休みなのにお勉強に励んでおりました。
そのため、もう頭がナルト。
理解力がないのではなく、忍耐力がない。
注意力散漫。
うーむ、どうしたものか、学習するという能力がやはり衰えてきているとしか思えない。
判断力、決断力と反比例するのか、これは。
とかいいつつ。
少しは勉強に励んでる(ように見える)自分にちょっと自己満足を覚えている自分って、やはり自己愛がキツイタイプなんかな〜?なんて、エニアのことをまだ考える。
あぶないな、自分の性格をタイプに合わせてしまいそう。
エニアグラムとかの分析。
あの謎めく佳人(言うが勝ち、ですぜ)中居さん。
そして、和賀ちゃんとか直江先生とか、どうなんだろう。
ああいう人たちって(たち、って・・・笑)、見せたい自分と本当の自分との乖離が大きい気がするなあ。
それは苦しかろうけれど、乖離をただすのはそれ以上に苦しい。
そんな、気がする。
でも、たださなくてもいいのかもしれないな、とも思う。
その人たちの幸せは、内面の乖離のバランスにあるのだから。
自分を苦しめるものを認めて受け容れられれば、きっと、そのバランスは、えもいわれぬ美しさを産むのだ。
まさに、どんなに否定しようとも、揺るがない美しさ。
赤毛のアンでは、こんな言葉が出てくる。
「あんまり美しくて、痛みを感じるくらいですね。」
「ああいうふうにかんぺきなものを見るといつも、痛みを感じるんです
――子どものころそれを、“おかしな痛み”といっていました。
どうしてこんな痛みとかんぺきさが、切りはなせないのでしょう?
これでいきどまりだということの痛みなのでしょうか――
この先にはもうなにもなくて、あともどりするほかないとわかっているという?」
「ほかの人ととてもちがっているのは、確かにひどいことではあるけれど、
ほかの星から迷いこんできたようで、すてきでもある。」
「どんな人生も、試練や悲しみをへなければ、発展もしないし、ふくらみも出ないのよ」
しかし、自分に置き換えて考えてみる。
以前と比べると心理テスト、分析みたいなものの結果では、私はどんどんイイカゲンで、お気楽になっていっている。
根本は変わらないけど、人との関係性だとか理想観は変わっていくものだとは思う。
感情面や価値観は、そう簡単に変わらないかもしれないけれども。
昔の私は、ものすごーく、自省的なのね。
ほら、信じられないでしょー?(笑)
ひとに対して書いてる文章なんかは、今とあまり変わらないんだけど、あの頃の自分の口癖は「なんか、いいことないかなー」「嫌いだー、自分」とかばっかり、だもの。
私にとって、仕事をするだとか好きなひとやものを誰かと共有するだとか、が本当に充実感に繋がっているのだと思う。
学生時代の頃の私は、わりと悲観的で自省的、そして真面目だった。
そういう、年頃でもあったんだろうけれども。
そうして、今日もまた、支離滅裂なもの思いで夜は更けるのでした。(笑)
明日は、またお仕事だ。
明日、明後日、と。
ゴールデンウィークは、したいこととやらなきゃいけないことと、遊びに来るひとの予定で、それなりに埋まりつつある。
あっという間、だね。ほんと。
どうしましょう〜。
こう書けるのは、とてもいいこと。
きっと、とても。
「よくよく考えると、世の中って、そんなに悪いものじゃないわね、マリラ?」
「リンドのおばさんはこのあいだ、つまらない世の中だって嘆いていたわ。
なにかすばらしいことがあると思って楽しみにしていると、
必ずといっていいくらい、がっかりすることになる――
期待どおりということはないって。
確かにそうかもしれないわ。
でも、ちがう見方もできるんじゃないかしら。
悪いことにしても、考えていたほど悪くなかったということもあるでしょ。」
「赤毛のアン」をまた、読みたくなった。
家にあるのは、村岡さんの訳のものだけで、それを出してこようと思ったのに、すぐには出せなかったので・・・・。
講談社の掛川さん訳のものを引用しました。
それも、あちこちで調べて。(苦笑)
なぜか、5月は赤毛のアンを読みたくなる、そんな私です。
コメント
私の、小学校高学年〜中学生の頃の愛読書でした。
まだ、とても純粋だったころのお話ですw
どこかでアンと自分と重ねていて、
にんじんのような赤毛で醜かったアンが、素敵な大人になっていく姿をわくわくしながら読み、
彼女が嫁いだ頃には、自分の夢が叶ったように嬉しかった。
きっと今なら、また違う部分を読みとれるでしょうね。
ええ、絶対読み直します!!
私、さらささんのこと(タイプ?)感じてますよぉw
『赤毛のアン』もお好きなのねー。同類ですよ、私たち。
うれしいな。腹心の友になりたいですね。
中学でアンフリーク、高校でさだまさしフリーク、現在中居フリークという階段を上っている私。(階段か?)
でもみんな続いているの。みんな私の人生に大きな影響を与えてくれています。
私はずっと昔、村岡花子訳で感動したのですが、掛川恭子さんは何と私の師匠なの。翻訳の勉強の。
出会いって不思議ですね。そして、いいものですね。
本や音楽や人との出会い。そういう積み重ねがあるから、どんどん人生が豊かになってきて、若い頃よりも余裕が出てくるのかもしれません。
私、初めての海外旅行は、【プリンスエドワード島】でした。
あそこでは、アンは健在です。ここかしこに、アンの存在を感じ取れますよ〜。
私も「赤毛のアン」大好きなの〜〜〜。
アンの世界が何ともいえないわ。
最初はなかなか理解して貰えなくても、気づけば皆アンの虜になってる感じが素敵。
あんな暮らし、出来るわけないんだけどしてみたーい。
アンが結婚して、娘リラを産むまでくらいが好きです。
私も無性に読みたくなる時があって、読み直してみると新たに発見があったりするのが、またたまらなく楽しいの〜。
こんばんは、またコメントありがとうございます^^
wasabiさんも、アンブックスを読まれてきたのですね〜。なんだか、距離感が近づいたようで嬉しいです。
私は、ちょっと遅くて通して読んだのは中学〜高校のころだった、と思います。家の物置にあるはずなので、休日に引っ張り出してこようかと思っています。
後半の幾冊については今になって読み返すと、いろんな発見がありそうだなあ、と思っています。出てくるキャラクターもみんな、生き生きと思い出されて・・・。
ところで、わたしのこと、タイプ?
どう感じますか?見えますか?
出来ればおきかせください。
こんばんは、お返事がとても遅くなってしまいました。
また来て下さって、嬉しいです^^
ほんと、「腹心の友」で結ばれているような気がします。
素敵なことばや事柄に心惹かれて影響を受けるのは、心が豊かになれるような気がします。そうはいっても、私はフワフワと戯れているだけな様な気がしていますけれど。(苦笑)
サマーさんは、翻訳のお仕事をされていたんですよね、素晴らしいお仕事で憧れます。
そうですか、掛川さんはサマーさんの先生なんですね〜。
言葉がわかりやすく、新発見のアンの世界、少し覗いただけですが、「完全版」とのことでしたので、また講談社版のほうも読んでみたいと思います。
こんばんは〜。お元気でしたか?
そう、プリンス・エドワード島、行ってみたいです。
初めての海外旅行が、あの地だなんて羨ましいです〜。
私はまず子供向けの本でいくつかのエピソードを読んでアンに出会い、その後にアニメで「赤毛のアン」に出会って、とても魅了されました。
学生時代に見た映画の情景の美しさも、忘れられないなぁ。
それでも、なんといっても村岡さんの文で読んだ、グリーン・ゲイブルズ、輝く湖水、恋人の小経、おばけの森・・・
あっちゃんすけさんの日記にいつも出てくる、家具の雰囲気や作られているものの雰囲気と繋がる感じがします、アンの世界。
みずからの手をかけて、こまやかに自分の家庭を作り上げている感じ。
アンの大人になっていく姿、結婚してからの巻も結構好きでした。結構、いろんな人がいて・・・。
私は、結婚した頃の「夢の家」が好きです。それから、最終巻の「アンの娘リラ」・・・ラストがとても哀しくて美しくて、好きです。「赤毛のアン」からあんなにも隔たってしまった時代などを思うと、胸がきゅーん、とするのですが。
行間から感じられる、モンゴメリの隠れた芯の強さや知性や、そして温かみを最も感じるのです。
タイプをとのこと。エニアに興味を持っていただいて嬉しいです。
でも、もうしばらく、私の方から言うのは控えさせていただきたいと思います。
ほら、自分探しだからねw
実際決定は難しいし、また一旦、思い込むと違っていたときに移動するのも難しいの。
その混乱も避けたいのです。
折々の発想やら行動やらを見ながら、一緒に探して参りましょうねw