JR尼崎事故から1年・・・
2006年4月22日コメント (2)あの日から1年、経とうとしています。
私はその日、東京に遊びに行っていました。
一報を受けたのは、ドラマ「砂の器」に出て来た通称「和賀マンション」(ロケ地になった建物)でお茶をしている時で、日記仲間さんも含めてのオフ会のみなさんとロケ地めぐりをしている最中でした。
大きな脱線事故、という姉からのメールで驚いたが、あそこまでの大事故だと思わずにいました。
その晩、千住明さんのコンサートの後、ホテルで見たテレビのニュースで驚きました。
それでも、どこか現実感がありませんでした。
次の日、仕事があるので朝から関西に戻ってきました。
まさに、事故のあった路線の電車が走るところを途中までなぞるようにして、仕事に向かいました。
途中、乗客が事故のことを話しているのを何度か耳にしました。
運転席には乗務員が3人も乗っていました。
大きな声で声を揃えて確認作業し、指差し点検を大きな仕草で繰り返していました。
そんなにチェックするポイントがあったんだ・・・と驚きました。
駅のホームの駅員も多くなっていました。
緊張感がありました。
1年前、電車に乗るたびに身構えていました。
けれど、そのうちに、そんな気持ちもなくしていました。
普段は私鉄に乗っています。
乗車時間も短いので、毎日慌しく過ごしていますが、今週はJRに乗っています。
遠出なので長い時間乗り続けています。
だから、往復とも座れれば眠ってしまいます。
どこか安心してしまっているのですね、やっぱり。
でも、それはどうなのか?
いちばん前といちばん後ろの車両を避け、ブレーキがかかれば、何かを掴んで体を支えてしまいます。
これは、1年前からのこと。
今、読売テレビで放送されている番組で、息子さんを亡くされたお父さんの映像が流れていました。
大学のボート部にいた息子さんは、一番最後に発見されて運び出されました。
運転席のすぐ後ろに立っている位置で、息子さんは生命を奪われたのです。
お父さんは、あの事故から毎日出勤時、あの路線のいちばん前の運転席の後ろで携帯電話で記録を録り続けています。
ダイヤ時間通りなのか?停車時間はどれだけとられているのか?それは安全なのか?
いちばん悔しい思いをしたにちがいない、息子さんのかわりに毎日。
安全と安心、ということばが番組でも繰り返されています。
昨日も、JRの電車が遅れていましたが、以前とちがってそれに対してのイラつきや文句が乗客のなかにないのが感じられます。
私たちは仕事のためや、いろんな目的を持って電車に乗っていて、何より時間を重視し、そのためには・・・という、会社の利益中心の考え方と同じものがありました。
自分たちを省みて・・・という思いはあります。
けれども、番組を見ていてやっぱり、悔しいな、と思うことがあります。
あまりに現場へのプレッシャーが大きいこと、技術向上の努力が足りないこと。
いくら機械が発達しているとはいっても、やっぱり最後は人間。
それは間違いなくて、人間ほど優秀なものはない、と思うし、信頼するに足る職業技術と能力には敬意を抱く。
けれど、それだけではダメなのだ。
バックアップ体制がたいせつなのだと思います。
多くのデータと情報交換、シュミレーションや繰り返し訓練による技術向上、人間を補完する機械による安全装置。
まだまだ、できることはいっぱいあるし、足りないことはいっぱいあるのではないか。
番組に出てきた、もうひとりのお父さん。
息子さんはJRの社員で、伯備線の線路保守作業の最中に列車に轢かれて亡くなりました。
単線の現場でダイヤ変更があったが、その連絡がうまくいかなかったのだ。現場の監督者の思い違いで、列車が来た逆方向にしか見張りがいなかったのだ。
列車が鳴らした警笛すら、耳に出来ないほど作業には騒音が響いていたというのに。
あの事故の後のことだ。
夢あって、安全への技術力を向上する情熱を持っていた息子さんは亡くなってしまったが、会社はマニュアルに不備がないことを主張していました。
お父さんは「3年事故を起こさないでほしい」「事故がない日を」と言われていましたが。
番組に出ていた太平サブローさんは「僕なら暴れると思います」と言っていました。
・・・本当にそうだ、と思います。
亡くなった息子さんのパソコンに残っていた文書では、研修の感想として、あの福知山線の事故のことでさえ、たいしたことがないように話す講師について触れてあり、その体制に「このままでいいのか?」と疑問を持つ言葉が残されていました。
あの事故から、ずっと運転士のことが気になっています。
http://diarynote.jp/d/63213/20050427.html
彼の、あの朝のプレッシャー。
プレッシャーに弱い私は、彼のことを断罪できないのです。
ひとから見たらどうしてそうなるの、ということも、なにかの拍子で、してしまうことはあります。
コンピューターのプログラムの開発では、「まちがい」「なんかの拍子」というものを、そう捉えずにデータとして集めていく。
統計をとり、汎用化に繋げていく。
プログラマーは几帳面でなければいけないけど、完ぺき主義者でもいけない、そうな。
点は線になり、面になっていくけれど、それは点の集まりなんだ。
そんなことを漠然、と思いました。
(・・・でも、会社で交わされることばが全然わかんないよ〜・涙)
関係があるような、ないような、そんなことを考えています。
事故で亡くなられた乗客、乗員の方のご冥福をお祈りします。
そして、ご家族や衝突事故に遭ったマンションの住人の方をはじめとして、今も心や体が苦しんでいる方、本当に大変でした・・ということばと共に、少しでもなにかご苦労や悲しみに報われることがあるといいな、と思います。
番組に出ていたJRの社長も言っていましたが、これからが長いのです。
長い間の、細かい支援が、意味のある支えが、なされることを望んでいます。
物、心、そして、未来がより満たされるものがありますように。
私はその日、東京に遊びに行っていました。
一報を受けたのは、ドラマ「砂の器」に出て来た通称「和賀マンション」(ロケ地になった建物)でお茶をしている時で、日記仲間さんも含めてのオフ会のみなさんとロケ地めぐりをしている最中でした。
大きな脱線事故、という姉からのメールで驚いたが、あそこまでの大事故だと思わずにいました。
その晩、千住明さんのコンサートの後、ホテルで見たテレビのニュースで驚きました。
それでも、どこか現実感がありませんでした。
次の日、仕事があるので朝から関西に戻ってきました。
まさに、事故のあった路線の電車が走るところを途中までなぞるようにして、仕事に向かいました。
途中、乗客が事故のことを話しているのを何度か耳にしました。
運転席には乗務員が3人も乗っていました。
大きな声で声を揃えて確認作業し、指差し点検を大きな仕草で繰り返していました。
そんなにチェックするポイントがあったんだ・・・と驚きました。
駅のホームの駅員も多くなっていました。
緊張感がありました。
1年前、電車に乗るたびに身構えていました。
けれど、そのうちに、そんな気持ちもなくしていました。
普段は私鉄に乗っています。
乗車時間も短いので、毎日慌しく過ごしていますが、今週はJRに乗っています。
遠出なので長い時間乗り続けています。
だから、往復とも座れれば眠ってしまいます。
どこか安心してしまっているのですね、やっぱり。
でも、それはどうなのか?
いちばん前といちばん後ろの車両を避け、ブレーキがかかれば、何かを掴んで体を支えてしまいます。
これは、1年前からのこと。
今、読売テレビで放送されている番組で、息子さんを亡くされたお父さんの映像が流れていました。
大学のボート部にいた息子さんは、一番最後に発見されて運び出されました。
運転席のすぐ後ろに立っている位置で、息子さんは生命を奪われたのです。
お父さんは、あの事故から毎日出勤時、あの路線のいちばん前の運転席の後ろで携帯電話で記録を録り続けています。
ダイヤ時間通りなのか?停車時間はどれだけとられているのか?それは安全なのか?
いちばん悔しい思いをしたにちがいない、息子さんのかわりに毎日。
安全と安心、ということばが番組でも繰り返されています。
昨日も、JRの電車が遅れていましたが、以前とちがってそれに対してのイラつきや文句が乗客のなかにないのが感じられます。
私たちは仕事のためや、いろんな目的を持って電車に乗っていて、何より時間を重視し、そのためには・・・という、会社の利益中心の考え方と同じものがありました。
自分たちを省みて・・・という思いはあります。
けれども、番組を見ていてやっぱり、悔しいな、と思うことがあります。
あまりに現場へのプレッシャーが大きいこと、技術向上の努力が足りないこと。
いくら機械が発達しているとはいっても、やっぱり最後は人間。
それは間違いなくて、人間ほど優秀なものはない、と思うし、信頼するに足る職業技術と能力には敬意を抱く。
けれど、それだけではダメなのだ。
バックアップ体制がたいせつなのだと思います。
多くのデータと情報交換、シュミレーションや繰り返し訓練による技術向上、人間を補完する機械による安全装置。
まだまだ、できることはいっぱいあるし、足りないことはいっぱいあるのではないか。
番組に出てきた、もうひとりのお父さん。
息子さんはJRの社員で、伯備線の線路保守作業の最中に列車に轢かれて亡くなりました。
単線の現場でダイヤ変更があったが、その連絡がうまくいかなかったのだ。現場の監督者の思い違いで、列車が来た逆方向にしか見張りがいなかったのだ。
列車が鳴らした警笛すら、耳に出来ないほど作業には騒音が響いていたというのに。
あの事故の後のことだ。
夢あって、安全への技術力を向上する情熱を持っていた息子さんは亡くなってしまったが、会社はマニュアルに不備がないことを主張していました。
お父さんは「3年事故を起こさないでほしい」「事故がない日を」と言われていましたが。
番組に出ていた太平サブローさんは「僕なら暴れると思います」と言っていました。
・・・本当にそうだ、と思います。
亡くなった息子さんのパソコンに残っていた文書では、研修の感想として、あの福知山線の事故のことでさえ、たいしたことがないように話す講師について触れてあり、その体制に「このままでいいのか?」と疑問を持つ言葉が残されていました。
あの事故から、ずっと運転士のことが気になっています。
http://diarynote.jp/d/63213/20050427.html
彼の、あの朝のプレッシャー。
プレッシャーに弱い私は、彼のことを断罪できないのです。
ひとから見たらどうしてそうなるの、ということも、なにかの拍子で、してしまうことはあります。
コンピューターのプログラムの開発では、「まちがい」「なんかの拍子」というものを、そう捉えずにデータとして集めていく。
統計をとり、汎用化に繋げていく。
プログラマーは几帳面でなければいけないけど、完ぺき主義者でもいけない、そうな。
点は線になり、面になっていくけれど、それは点の集まりなんだ。
そんなことを漠然、と思いました。
(・・・でも、会社で交わされることばが全然わかんないよ〜・涙)
関係があるような、ないような、そんなことを考えています。
事故で亡くなられた乗客、乗員の方のご冥福をお祈りします。
そして、ご家族や衝突事故に遭ったマンションの住人の方をはじめとして、今も心や体が苦しんでいる方、本当に大変でした・・ということばと共に、少しでもなにかご苦労や悲しみに報われることがあるといいな、と思います。
番組に出ていたJRの社長も言っていましたが、これからが長いのです。
長い間の、細かい支援が、意味のある支えが、なされることを望んでいます。
物、心、そして、未来がより満たされるものがありますように。
コメント
昨日どのようにコメントしようかと、軽はずみな事は言えないなと思いそのままにしていましたが、やはり、この惨い出来事は、黙っていられないですね。
この惨事の様子を、近くの工場の人達が一生懸命に力を貸している姿もテレビで報道している中、JRの職員の怠慢さが明るみになり、余りにも悲惨な状況下で、被害者のご家族の悲痛な叫び、必死の懸命な捜索(この言葉でいいのでしょうか)が、何もしてあげられないけれど、心を痛めていました。
あれから一年、今だに状況を受け入れたくなくても受け入れざるを得ない、しっかり事実を受け入れて改善を望むご家族。
未来ある若者、愛情溢れる妻子を失った被害者の遺族の家族の方々のことを思うと、これからのJRの体制のより一層の改善をと思います。
遠くで見ているだけ申し訳ないと思いながらも、どこで起きるか分からない状況です。
色んな事件が多く不幸な人が溢れないようにと思います。
ごめんなさい身近で感じている、さらささんに申し訳ないようなことを書いてしまいました。
コメント、どうもありがとうございます。
丁寧に真摯にとらえて書いていただいて、とても有難く、そして感激しています。
当事者の方々に思いを寄せることしかできないですが、希望と願いは持ち続けたいと思っています。なにかと無力感に襲われるニュースが多いのですが・・・。
私も、春さんと同じ気持ちですよ。身近に感じたくても感じられない、そんな気持ちです。
こちら地元ローカルテレビではなにかと取り上げられる機会はあるのですが、なかなか全国では流れない事故の番組のことも伝えたくて、うまくいかないなりに書いてみたので、とても嬉しかったです。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。