もうすぐ二度めのあの日がやってくる
2006年3月25日 ドラマ。ドラマ「砂の器」の最終話、は和賀英良最後の日、だ。
中居ファンのある人たちが「白い影」の最終話の日、3月18日を直江先生の命日として、彼を偲ぶように、私たちもまた、あの和賀がひでおに戻った日を、ピアノを置いて私たちの前から姿を消した日を忘れはできない。
あの3ヶ月は、とても苦しくて重苦しい気持ちになりながらも、毎日毎日ドラマのことを考えて明け暮れていた期間だった。
中居さんのファンでなければ、あれほどには思いいれが出来なかっただろう、というのは間違いないが、あのドラマに出会えたことは、私にとってとても、大きな出来事になった。
「白い影」が発端で、ファンサイトなどを見に行くことになった私だが、「砂の器」は、私にお話を書く喜びをもたらしてくれた。
勿論、二次創作というのは、あくまで「大目に見てもらっている」ものであり、公開することは、本当はかなりリスキーなことだと思う。
ただ、お話を書くことは私にとっての感想文であり、ファンレターなのだ。
キャストやスタッフ、そして脚本家、原作者さんへの感謝と憧れと好意をまず、前提に。
それから、作品に付随するもの、作品を愛する人たちからの眼差しを忘れてはいけないと思っている。
趣味の範囲内、ということで温かく見守ってくださるかたが大半だが、自分のなかで大事にされているものを壊しはしないか、傷つけてはいまいか。
そういうことをおそれを持ちつつ、楽しませていただいている。
日記仲間さんのご好意で、いつも投稿させていただいているページをリンクすることにした。
どうもありがとうございます。
なにかと、気遣いくださり、そしてお話を発表できる場を与えていただくことは、本当はとても大変なことだ。
そのページが載っているサイトには、とても素敵なお話がたくさん、ある。
サイトマスターの彼女の人柄ゆえだろうか、従来からの常連さんも、そして新たな作者さんも、続々生まれている。
本当に、中居ファンの方は素晴らしい方が多い。
掲示板の投稿を読んでいても、そう思うことが多い。
二度目の春がやって来る。
私たちは実在の人のようにあの人を待っていて、私はあの人と周りの人たちのその前とその後に思いを馳せる。
なかなか、お話を書くのは捗らない時もあるけれど。
・・・彼らと彼女たちは私の中で生きている。
中居ファンのある人たちが「白い影」の最終話の日、3月18日を直江先生の命日として、彼を偲ぶように、私たちもまた、あの和賀がひでおに戻った日を、ピアノを置いて私たちの前から姿を消した日を忘れはできない。
あの3ヶ月は、とても苦しくて重苦しい気持ちになりながらも、毎日毎日ドラマのことを考えて明け暮れていた期間だった。
中居さんのファンでなければ、あれほどには思いいれが出来なかっただろう、というのは間違いないが、あのドラマに出会えたことは、私にとってとても、大きな出来事になった。
「白い影」が発端で、ファンサイトなどを見に行くことになった私だが、「砂の器」は、私にお話を書く喜びをもたらしてくれた。
勿論、二次創作というのは、あくまで「大目に見てもらっている」ものであり、公開することは、本当はかなりリスキーなことだと思う。
ただ、お話を書くことは私にとっての感想文であり、ファンレターなのだ。
キャストやスタッフ、そして脚本家、原作者さんへの感謝と憧れと好意をまず、前提に。
それから、作品に付随するもの、作品を愛する人たちからの眼差しを忘れてはいけないと思っている。
趣味の範囲内、ということで温かく見守ってくださるかたが大半だが、自分のなかで大事にされているものを壊しはしないか、傷つけてはいまいか。
そういうことをおそれを持ちつつ、楽しませていただいている。
日記仲間さんのご好意で、いつも投稿させていただいているページをリンクすることにした。
どうもありがとうございます。
なにかと、気遣いくださり、そしてお話を発表できる場を与えていただくことは、本当はとても大変なことだ。
そのページが載っているサイトには、とても素敵なお話がたくさん、ある。
サイトマスターの彼女の人柄ゆえだろうか、従来からの常連さんも、そして新たな作者さんも、続々生まれている。
本当に、中居ファンの方は素晴らしい方が多い。
掲示板の投稿を読んでいても、そう思うことが多い。
二度目の春がやって来る。
私たちは実在の人のようにあの人を待っていて、私はあの人と周りの人たちのその前とその後に思いを馳せる。
なかなか、お話を書くのは捗らない時もあるけれど。
・・・彼らと彼女たちは私の中で生きている。
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