さっきまでプロジェクトXの最終回を見ていた。
始まった当初いつも感動して見ていたのに、ここ数年たまに思い出したように見るだけ、数年前みたいに新鮮な気持ちで感動して見なくなってしまっていた。

6年間、放映していたという。
6年前、1999年。
私にとって忘れられない年、ひとつの転機になった年。
その年、父が亡くなった。

父の誕生日1月29日の前日が、定年退職日だった。
そして、亡くなったのはまさにその日、1月28日の夕方だった。
臨終が告げられた直後に、市役所か近くの会社か業務終了のサイレンが鳴った。
父らしい、と思った。
父は会社が大好きな人だった。長期の休みがあっても、出勤日の1日前2日前になると、ソワソワして会社に行く準備をしていた。
夏休み、学校が始まるのがイヤだ、と言っていた姉や私に「お父さんは、会社行くの嬉しいぞ〜」と自慢していた。
恥ずかしいくらい会社の自慢もしていた。
それは「こんな会社に行ってえらいだろう」というよりは、会社を作った社長さんの自慢だったり、自社製品の自慢だった。
総務、監査、経理、物流と仕事をしていたけれど、自分の会社の技術が自慢だった。
「もう言わないでよ」と思いながら、羨ましくもあった。
父の時代、高度成長期でもあり会社が発展していった時期にもあたり、やりがいがあって収入も増えたのだから当然だ、と子供のころは思っていた。
けれど、大きくなってから、父の仕事や社内の立場が多少はわかるようになった。
私の生まれる前後から悪化した病気、それゆえに転勤しなかった父の立場、派閥や人脈という拠り所の不運。
口惜しい思いだとか嫌な思いをしたこともあっただろうと思う。
けれど、いつも会社が好きで自慢だった。
最期の言葉は、自分の送別会の夢でも見たのか、「行こう行こう」という言葉で、私が「どこに?」と問いかけた答えは「みんなで鴨食いに」だった。
本当に食べるのが好きな人らしい言葉。
家族でも退職記念に食事しよう、と言ったけど、家族と一緒に行こうとしていたのではない、というのはよくわかった。
だって、母が鳥肉を一切食べなかったから。

葬儀の時、父の会社はいろいろと尽力してくれた。
数ヶ月後だったらこうじゃなかっただろう、と父と同じ会社の方が言っていた。いち社員として見送ってくださった、会社にとても感謝した。

父のように、自分の会社が好きで仕事にやりがいがある、そんな人たちが多くスポットを当てられていた番組、それがプロジェクトXだった。
きっと、偉業を成し遂げた人たちのまわりには、その灯りのおかげで、誇らしく胸を張って働いた人たちが多かったのだろう、と思った。

そして、父の葬儀に来てくれた私の上司が、母と姉と私の姿を見て、「家族は女ばっかりなのか」と言って帰ったその後、私が忌引き明けの挨拶をした時「家に帰るか」と言ってくれた。
3年間、家を出てひとり暮らしをしていた私を実家に帰すように、異動を働きかけてくれたのだ。

転勤して家を出て、気分は「私がいないとダメなのよ」とばかりに、仕事に熱中していたころ。
母はあまり認めてくれなかったけど、父は「がんばってるんだなあ」と言って、実家に帰っては昼まで寝ている私にも甘かった。
今思うと、母もわりとそうだったけど、父に「結婚しろ」とか「女なのに」と言われたことがなかった。
一生懸命仕事してればそれでいい、と言われていたような気がする。
その間に、大失恋(自分の中で・笑)したり、久しぶりに男の人に言い寄ってもらったのに「それどころじゃない」と言っていた(大笑)、ということがあったり。
それでいて、一緒に働いていた同僚たちと徹夜で遊んだり大騒ぎしすぎて、同じマンションの人に叱られたり、嫌がらせされたり(爆)、いろいろあった。
そんなこんな最中に、父が亡くなってしまった。

近くに居た母や姉には、いろいろ後悔があったようだけれど、私はあの離れていた数年が、実は一番、父と仲がよくて楽しかった。昔から、一緒に映画を観に行ったりドライブに行ったりするのが好きだったけれど、たまに会うとお互いに気を遣っていたからだと思う。

亡くなった後の母の様子がとても心配だったこともあり、上司の申し出はとても嬉しかった。
たまたま、異動が何人か出たために可能だったけれど、その時に実家に戻してもらったことによって、私の中で、とても会社への感謝と愛着が増すことになった。

しかし、もともとひとり暮らしのときの仕事でも、業績が振るわなかったのに、異動してきた先の職場で、私はとても苦労した。
今思えば、まったく自分の怠慢であり、未熟さもあり、与えられた課題に対してもイイカゲンで、自分が悪かったと思う。
それになんといっても、既に会社全体が大変な危機に陥っていた。私は、呑気でそういった情勢がわかっていなかった。
いや、自分の担当部署、事業所全体がどんどん、業績が悪化していたのは肌で伝わっていたのだけれど、そのコトの重大性がわかっていなかった。

しばらくして、激しく叱責された。
びっくりした。
自分が大失敗して、怒鳴られたり叱られたり説教されることはあっても、自分なりに普通に仕事をこなしているつもりで叱責されたことは初めてだった。
なにかあった?と思った。

そうして、しばらくして会社でいろいろなことが起こり、その上司も異動する事になった。
その異動直前、担当者の会議で上司が挨拶した。
精神論のようなことを言ってしまい、うまく指導出来なくて、結果を残すことが出来なくて申し訳なかった、と。
私の席の周りで、何人も泣いていた。
そうか、私がちゃんとしなかったから、上司もしんどい思いをして、辛い思いをして異動することになったんだ。

会社ってなんだろう。
働くってなんだろう。

そういうことを、考えていたそんな年、それが1999年。

休めなくて、21日ぶっつづけで出勤していたりして、暇がなくなって、テレビやレンタルビデオくらいにしか楽しみが求められなくなってきたころ、「こんなの買う人いるの?」とさえ思っていた、TV誌を買うようになり。
そのTV誌、当時はまっていた「TVぴあ」でも特集記事を組んだのが、プロジェクトX。

自分の仕事を大切に、愚直に、そんな生き方を見て感動していた。
そしてまた、同じ「TVぴあ」に数年前に同じく特集記事が組まれていたグループ、SMAPにもハマったのがこの時期、96〜99年あたりから、だったと思う。
テレビの中のSMAP、わけても中居正広に惹かれた。

あのころ、「プロジェクトX」で将来、SMAPが取り上げられるのを見たい、と思っていた。
グループとしてのSMAP、リーダーとしての中居、を見てみたい、と。
だけど、エッセイ本も書きたくない、と言い、みずからの本当の姿を語ろうとしないような中居が好きだから、きっと無理だろうな、と思いながら。
でも、あれに取り上げられるようなスゴイ、グループになってほしいと思った。

今、もしかするとそれに近い存在になったのかもしれない。
いつのひにか、こうしたドキュメンタリーに取り上げられる存在になるかもしれない。
だけど、それは、私は見届けられなくてもいいかもしれない、と思っている。
ずっと、ずっと、先の話でいいのではないか、と。
「おいおい、知ってる?こういうすげえヤツラがいたんだぜ」って、ずっと後になってから言われるのを死んでから笑ってあげたい、とも思う。

木村さん、ファン代表になれてよかったね。

コメント

しーの
2005年12月29日5:50

わたしは「プロジェクトX」の中で、ミスターVHSの回が一番好きです。
さらささんの日記を読みながら、おとうさまとミスターVHSを重ねてしまいました。
お二人とも、信念を持って生きた方だったんですね。
おとうさまの生きる姿勢は、さらささんにシッカリと受け継がれてるんだな、って感じます。
向かうべき方向を我が子へ指し示すことができたおとうさまは、とても立派な方だと思います。

確か、ミスターVHSは「何かに夢中になれる人間であれ」というような意味のことをおっしゃってたのような記憶があるのですが。
中居くんといっしょですね。

子持ちあゆ
子持ちあゆ
2005年12月29日10:01

さらさ様、おはようございます〜♪

さらささんも、あの時間『プロジェクトX』を見ていたんですね。
おまけに、「最初は真剣見ていたのに、最近はちょっとご無沙汰……」というところもまったく同じで、また親近感を抱いてしまいました。

さらささんのお父さまに対する思いや、仕事に対する思いがとても真摯に綴られていて、息を詰めるように読ませていただきました。
まじめに、一途に仕事に打ち込むと言いますか、会社に貢献しているお父さまに対して、誇らしさや頼もしさを感じつつ、
さらささんは、一抹のさみしさがぬぐえなかったのですね。
やはり、大好きなお父さまだからこそ、仕事ではなく、家庭を一番に思ってほしかった――。
そんな、さらささんの願いが、行間からひしひしと伝わってきました。

これは、私の勝手な思いなのですが……。
きっと、お父さまは、家族が大事だからこそ、「自分が大黒柱だ」と頼むからこそ、仕事にのめり込んでいって行かれたのではないでしょうか。
高度経済成長期のころの男性って、結構、こういう思いの方が多いのではないかしら?
もしかしたら、退職後は、いままで仕事にかまけていた分、家族との時間を楽しみたかった。
そんな思いを抱えたまま、黄泉路へと旅立つことを余儀なくされた――。
お父さまも、さぞ無念だったことと思います。

……なんて、勝手に書きなぐってしまいましたが。(ごめんなさい)
今年も、大変お世話になりました。
よいお年を……&来年もよろしくお願いします♪

さらさ
さらさ
2005年12月29日10:57

しーのさま、子持ちあゆさま

コメント、ありがとうございます。昨日は祥月命日ではないのですが、命日で、お墓参りに行った後だったので、「プロジェクトX」を見て父を思い出していました。でも、SMAPに繋がるあたり、私らしいでしょ?(笑)

>しーのさま
父に確固たる信念があったかどうかはいまだによくわかりませんが、会社が大好きだったことには変わりなく。後方支援的な部署にいたにも関わらず、自分の会社の技術に誇りがあった、というのはミスターVHSのような技術者に対する憧れ、尊敬があったような気がします。そうした方々が父の会社にいて下さったこと、その灯りで照らしてくださったことがありがたいな、と思っています。そして、そう思えた時代、会社にいられた父がうらやましいな、なんて思います。
今年、私が会社を辞めた時に感じた罪悪感のうち、父がいたならどう言ってたかなあ〜、ということが、かなり占めていたのですが、案外「そんなに嫌なら辞めたらいい」とも言いそうかな、とも。

>子持ちあゆさん
いつも、思いやりのある言葉をありがとうございます。
昨夜は思いのままに書いていて、順序だてて書くことができずわかりにくくてすみません。
実は・・父は会社大好きな人でしたが、私が生まれる前後で、病気になりまして。転勤もできずにいました。
そのために逃したチャンスがあったり、仕事ではセーブしなければいけないことが多くて、そういう点では根を詰めることができないでいたと思います。歯がゆい思いもしたのではないかなあ、と今になって思います。
だけど、会社は好きな人でした。
私も、自分の勤める先や仕事を好きな人になりたいな、と思っています。

子持ちあゆさん、今年も大変お世話になりました。
そうですね・・・来年こそは、お会いしてお話してみたいな、というのが来年の願いです。
どうぞ、よいお年を。
ご家族みなさま、賑やかに楽しく新年を迎えられますようにお祈りしてます♪

ゆうゆう
2005年12月29日18:38

おれ、プロジェクトXなんて見たことないし、話題になってはじめて知った次第ですが、お父さんのあなたに対する優しさだけは理解できる。
 仕事人間でない私と比べたら申し訳ないが、私は、子どもに対する思いだけは誰にも負けないと思っています。

 そんな私ももう47歳、来年息子が生まれるらしい。

 父と娘の気持ちと・・・父と息子の気持ちどちらが理解できるかと言えば、


 娘なのが私、    でも、子どもは宝

 俺何書いてるのだろうか、・・・・・・・

 父親って、こだわりがあり、こだわりを大切にするのだと思う、すべての親父ががんばって欲しい。
 仕事に、その他に・・・・

さらさ
さらさ
2005年12月29日23:00

ゆうゆうさま。
コメントありがとうございます。こんなSMAPバカな日記に。(笑)
いつも、ゆうゆうさんの日記を拝見しています。お子さん、楽しみですね。

そうですね、今の時代、親父にはがんばってほしい。というか、オトナががんばらないとね、うん。

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