「ユスティニアヌス帝とその重臣」
こちらは、日当たりの加減で比較的はっきり写っています。
この絵と「テオドラ妃」は、ビザンチン様式の傑作といわれています。

西ローマ帝国が滅亡した(476年)後、東ローマ帝国はコンスタンティノープルを首都として存続。
東ローマ帝国は、ビザンツ帝国として、皇帝は唯一のローマ皇帝として、権威は認められていたものの、周囲をゲルマン民族の大移動で移住してきたゲルマン諸族の諸王、ほかにフン族・スラヴ族・ブルガール人などに脅かされ、また、東方のペルシアからの侵入も防がなければならなかった。

といった事情のもと、マケドニアの農家に生まれたというユスティニアヌス帝が叔父さんの養子になり、即位。
気さくで質素で働き者、という性格と伝えられたこの皇帝ですが、国内の反乱(ニケの反乱)を押さえ、ペルシアを撃退、「永久平和条約」を結んだり、西ローマ帝国の領土をほぼ再征服をしたり、現在のヨーロッパの法律にも影響を与えているといわれる「ローマ法大全」を完成させたり。
といった、『大帝』でもあります。
83歳と長生き。

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