そろそろ、どうにかしないと・・・。
と、思い。(なにが?って?お話という名の妄想です)
原作「砂の器」を読み返すわ、DVD見返すわ、とやっています。
なんだかもう、こっちにもあっちにも、疑問を感じますね。
いや、ツッコミ魂あってこそ、の「砂の器」。(笑)
自分が考えるお話は、もっとツッコミ入れられそうだけど。

ツッコミといえば、ドラマ「砂の器」で秀夫の子供時代がどうも古すぎる、というものがよく、ネット上で目についていたものだったが。
この間から、衛星放送で、一作目から放映している寅さん。
あれを見ていると、機関車走ってるの、私の生まれた年あたり。
恐らく、物心ついた頃には、一般的には、もうなくなっていたんだけど、案外、60年代末〜70年代ってまだまだ、戦後と繋がっていたんだなあ、と思う。
今ほど、遠くなっていないんだ、あの時代が。

で、更にもう少し年代が遡る設定かな、という原作「砂の器」の和賀さんは、相当トリッキーです。
トリッキー過ぎて、途中笑ってしまいますが。
言動と行動が伴わないってのか・・・。
これは、あの時代なら、納得できたんでしょうか。
折角なら、もっと宮田と成瀬リエ子との話を書き込んで欲しかったなあ。(ドラマと同じか・笑)
裏設定あったのかな、いろいろ。
映画がやっぱり巧かったよねえ、人物描写とか構成が。
脚本的にはどうか、と今になったら思うけれど、あの映像と。
千代吉と三木巡査を演じた、2人の俳優の演技に尽きるんだろう。
あの原作から、よくあの映画に膨らませたよなあ・・・。

ところで、DVDを見返すと、三木さんだとか、あの亀嵩の桐原さんだとかが、もう・・・見ててモヤモヤする。
そこまで思ってんなら、墓場まで、持ってけよーー!!と思う。
だけど、こういうのも、人間として歳をとっての弱さ、というものなんだろうか、とも思ったりなんかする。
でも、自分たちの罪深さってものを、彼らは自覚してるのだろうか?
心弱く、想像力がないのだろうか?
自分が楽になりたいのだろうか?

加害者だとか、被害者だとか、ていう風に考えていくと、グルグルになっていく。
何かが、手から零れていくような気がする。
ちがうんだ、ちがうんだよ、きっと、ともどかしくなる。
そして厄介なことに、人には理屈じゃ納まらない感情もあるのだ。
三木さんは、秀夫に怒りを感じていたのじゃないか。
それは、感情をぶつけたことにならないか。
父親と会わせるという大義名分のもとにふりかざしてやしないのか、わが身可愛さを。
それは、本浦千代吉と、秀夫を追い詰めた世間と同じじゃないのか。
過去を消そうとして、秀夫が三木さんを否定しようとするのが、そんなに悪いのか。
自分の存在が、恐怖になり脅威になるのか、想像もできないのか。
・・・ああ、でもきっと。想像したくないのだろうな。

私は想像しすぎて、怖いのだ。
顔が見えない相手に、言葉を伝えようとして、伝わらないようで、怖くて怖くて仕方ないのだ。

明日は、父を送りに行く。
今年は、静かなお盆だった。
だんだん、こうやって、静かになって行くのかな。
それでも、ハガキを書いて送って下さった、父の友人がいた。
絵の展覧会を見に行った帰りに、絵葉書を買い求めて投函して下さったのだ。
「絵がとても好きだった○○さん(←父の名です)を偲んで、絵を見ました」
と、一文が。

父の実の兄弟の方が、この方の百分の一も、父のことを惜しんでくれなかったというのに。
人から寄せられた好意を見て、そんなマイナスな感情を抱く自分が嫌だ。
父と叔父の間には、私たちが聞いている以上の相克があったのか、と。それこそ想像すべきだ。

父は、約60年前に、祖父を亡くしている。
虚弱児だった父を、とても心配していたという、祖父よりも歳を重ねて、父は亡くなった。
あの60年以上前の戦の中、きっとあちこちで、ひとりひとり、ひとつひとつの人生があったんだ。

NHKの番組や、いろんな番組を見ている。
この日に放送される内容は、以前と較べて、随分様変わりしたなあ、と思う。
選択して見るものがとても増えている。
どれを見るか、どの人の生き方に共鳴するか。
それは、自分次第なのだ。


>てりあさん
ご迷惑かもしれませんが、ブックマークに入れさせていただきました。受け入れてくださると、嬉しいのですが。
あなたの文章は、言葉は、とても胸を打ちます。
その力は、私にとって、憧れであります。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

日記内を検索