今日は、春の雨。
日が暮れて、灯りをつけると、咲き始めたハナミズキが映えます。

家には、一台のYAMAHAのアップライトのピアノがある。
弾かれなくなって・・・・何年経つだろう?
それでも、年に一回は調律に来てもらう。
勿体ないことだなあ、とは、いつも、思う。
「砂の器」を見てからというもの、その思いが一層重くのしかかってくる。
目の前にあって、やろうと思えば、今からでも練習できるかもしれないのに、
もうずっと触ってもいないので、弾けない。
もう、音譜の見方や指の動かし方も、思い出せない。
中居さんはすごいなあ、って思う。
私の目には、本当に弾いているみたいだったものなあ・・・。
ピアノが上手く弾けるように見えることが、ドラマの目的じゃないんだけども、すごいことだと思う。
ドラマを見終わって、和賀英良の来し方が気になってきて(実在の人ではないけれど)、
ピアノ曲を聴いたり、ピアノに携わる人の話を見たりするのが格段に増えた。
そうして、今、もしもピアノが弾けたなら・・・って思うようになった。

あるピアノ好きの方のサイトに書いてあった。
私たちの世代は、ピアノを小学校あがるかあがらない頃から、習っていた子が多かった時代。
けれど、大体高学年にあがるころか、中学生になるころで、3分の1くらいになってしまう。
それにも書いてあって、まさに私がハマっていた条件ってのが「必殺ハノンに敗北」。
そう、私もまさしくそれ。(苦笑)
根気がなかった子供である私は、それだった。
でも、その頃で止めてしまうと、5,6年くらいしかやっていないと、まもなく、まったく弾けなくなってしまう。
これでは、その数年何をやってたんだ、ってことになってしまう。
だから、高校生くらいまでは続けるべきじゃないか、っていうのが、その人の意見だった。
それくらいまで続けると、身についているし、小学校の頃にいったん興味を薄れていても(子供って
そんなもんですよね)、大人になってまた弾きたいな、と思っても取っ掛かりがつきやすい、
とのこと。
まさに、そうだなー、って思う。
あと、数年習っていればもう少し、なんとかなったかなあ、なんて思う。
まあ、私が忘れやすいんだけど。
姉は、高校まで続けていたので、今はすっかり弾かなくなっているが、多少は弾ける。
音感も、私よりは良さそうだから、それもあるんだけども。
姉が中学の時だったか、発表会でベートーベン「月光」を弾いた。
あれは、姉の一番出来がよかった曲だった、と思う。
ひとつ、羨ましいな、と思ったのは、それを聴いていたひとりの方が、姉に
「ほんとに素晴らしかったわ」と、握手をしに来て下さった事。
姉は、とても感激していた。
あの時から、「月光」は、私の一番好きなピアノ曲のひとつになった。

阿久悠さんの「もしもピアノが弾けたなら」の歌詞、いいんですよね。
心はいつでも空回り、半開き。
ピアノは、雨や風や晴れの日のように伝える言葉のように。
ピアノは、人を愛した喜びや心が通わぬ悲しみ、抑え切れない情熱をを聴かせる夢のように。

>りらさん
数日前より、リンクさせていただいてます。
こんにちはー。(って、果たして読んでいただけるのかどうか・苦笑)
「友へ」の振りが変わったところ、あったのかな、なんて思ってたけど、
りらさんの日記を拝見して、よくわかりました。
ありがとうございます。
ラストの、中居さんの指のアップで終わるのがいいですよね♪
HDD、羨ましいな。

仰天中。
中居さんピンクのセーター。
うわー、アップの顔がちっちゃくて、綺麗だー。
この顔で・・・。
「君は運命の人だ」ってえええええええ。(バクハツ)

コメント

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