ヨハネ・パウロ?世が逝去。
ああ、また時代がひとつ、終わったのかな、と思う。

キリスト教徒ではないし、カトリック教には詳しくない。
けれど、幼い日、私はカトリック系の幼稚園に通っていた。
イエス・キリストは偉い人で、救い主だけども、私たちのために罪を背負って、
とても辛い目に遭った人だ、と思っていた。
彼が生まれるのを、みんなが待ち望んでいて、みんなが救いを求めている。
それに身をもって応えていた人、という印象を持っていた。
限りなく優しくて、愛に満ちた人。
仰ぎ見て、敬愛する人だけれど、私たちと同じ、血を流して人々の犠牲になる人、
という実在の人のような印象があった。
不思議と、そういう小さい頃の記憶は薄れない。

幼稚園の園長先生は、外国の方だった。
どこの国から来られたのか、覚えていない。
片手を失くされた人で、いつも黒衣を身につけていらっしゃった。
小さい頃でも、なんだか畏れおおい、という感じを受けた。
きっと、聖職者のような人だったのだと思う。
あの頃、既にお年を召していて、歩いてらっしゃる姿を見ることも、そうなかった。
けれど、入り口近くの窓から、よく私たちをご覧になっていた。
私たちは背伸びをして、園長先生に手を振ったり、手を握ったりしていただいていた。
よく見ていた宗教画や、絵本のような聖書の中の人のようだ、と思っていた。
外国人としての容貌がそのままだったから、というのもあるし、聖人たちの表情と
似ているような気がしたからかもしれない。
私たちや、私たちの親とはまったく違った人に見えた。
畏れ多いな、という感じだったのに、決して遠すぎることはなく、私たちは毎朝のように挨拶をして、
競い合うように手を握った。

私の中で、あの園長先生と法王さまは、イメージが重なる。
実際のところ、似ているわけじゃないだろうけれど、ここ数日、あの園長先生を思い出している。
何があって、異国の京都の西のはずれに幼稚園を開くことに
なられたのだろう、と思う。

法王さまのご冥福をお祈りします。

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