地震

2005年1月11日 ドラマ。
「救命病棟24時」を見た。
このドラマでの運命の時は、今日の午後4時過ぎだった。

高校時代は、地学部に所属していた。
天文に興味があって入ったのだけれど、地殻変動や地殻プレートの話も、よく講義を受けた。
顧問の先生は、この数十年のうちに関東で大震災が起きる、というのを言い続けていた。
熱心な先生で、自前で何本もフィルムを持ち、東京での震災被害予想のフィルムを在学中の数年間で
5回以上は見たと思う。あの頃は、今ほどの被害数字ではなかったように思うけれど、
それでも大変だなあ、と思ったものだった。

卒業して、数年後。
まさかの阪神淡路大震災が起きた。
先生のおうちは、芦屋だった。
卒業生の数人が、京都から道中半ばくらいからは歩いて、水や食べ物を持ってお見舞いに行った。
先生は、地学が専門の高校教師であるから、自分の住んでいる地域の地質や活断層などについての
知識は、そこそこ持っていたらしいけど。
でも、実際は地震を予想することなど出来やしないだろうに、訪ねてきた教え子には情けなさそうに、
ため息をついていたそうだ。
それも伝聞なので、よくわからない。
案外ケロッとしていそうな人ではあるのだけど。
まさか、自分は遭わないだろう、と誰しもが思ってしまうものなのだろう。

10年前のあの日。
当時、木造の家だったわが家は、どんぶらこ、と船のように揺れた。震度5くらいだったのだ。
今から思うと暢気だけど、「うわ、すごいゆれたなー」と思ったまま、起き出しもせず、
そのまま、また寝てしまった。再び起きた時には、まわりにいろんなものが落ちていた。
私の顔のあたりには、額縁の絵が落ちていた。
しばらく、まったく事態がわからなかったけれど、テレビで見て「えらいこっちゃ」ってことになった。
その日から数日、余震が続いた。
両親が海外旅行に行っていて、電話ひとつかかってこないので、
「電話がかからないんだわー」と姉と言っていたが、
後に、一度もかけてもいないことがわかった。
・・・・そんなものである。
京都は、電車等が止まったのはその日だけだったけど、本震以上の余震が数日内に起きる、
という噂だけは広がっていて、家を出るたびに「これで最後かも」とか思ったり、
夜は、姉とふたりで手を握り合って眠ったりした。

それでも、すぐに。
つい数十キロ先で、大変なことになっているというのに、他人事のような顔をしていた。私たちは。
けれど、その数十キロ先から、黙々と通勤していた人たちが、たくさんたくさん、いた。
ボランティアをしたり、家族を守っている人たちも尊いけれど、あの寒い中歩き続けた人たち、
電車を待ち続けた人たち、バスを待ち続けた人たち、いろんな思いと苦労を抱えていた人たち・・・
名もなき人たちを思い出す。
「まあ言うてもしょうがないんやけど」
「ぼちぼちやなあ」
「まあ、それなりに」
「なんとかやってるわ」
なんて言いながら、普通の顔をして(そうしかしょうがないんだろうけど)生きていた人たちを
思い出す。

地震直後のNHKだったかの番組で、泣きながら司会をしていたアナウンサーは誰だっただろうか。
プロとしては失格だったのだろうけれど、大仰でなくやり切れない思いがこみあげているその実直さには
好感が持てた。去年の新潟県中越震災における報道の仕方でも、NHKに好感が持てた。
いろいろ言われているけれど、どうか番組作りをしている人たちは、それぞれの矜持をまっとうしてほしい。

地震直後、血を吐く思いで苦しんでいたのは、救急隊員や医師や消防士など、現場で働いていた人たち、
皆だっただろうと思う。
どうか、その人たちを必要以上に苦しめない危機管理システムだとか、指揮系統をまとめる手立てなどを作っていってほしいものだ。
まさか自分が遭わないだろう、というのは誰しも、なんだけど。

死なないで。生きてこそ、役に立てるのだから。

今日の「救命病棟24時」での、あの言葉は真実だと思う。

追記。
ことみちゃん(綾香)が、生徒さんをかばうところが、涙を誘いました。今、私の涙腺を緩ませる女優、ナンバーワン。

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